仏さまとは、どのようにこの世界が見えているのでしょうか。「仏さま」とは、最近亡くなられた ひいお爺さまのことではなく、お釈迦さまのように、お悟りを開かれたお方のことをいいますので、お間違いなく。
仏さまはすぐれた智慧を備えていらっしゃいます。まずは、磨きあげられた鏡のように、すべてのものごとが、そのままに心に映るといいます。「そのままに」とは、是非や好き嫌いなどの判断、すなわち分別をまじえることなくという意味です。そしてすでに自我という殻が破られているので、仲間や家族、多少の縁あるお方など、まわりの他者のことを自分のこととして平等に受けとめることができます。これらの仏智が基礎となって、ものごとの特徴を的確に、ただしく観察、察知し、その場その場に応じて、なすべきことを成し遂げることができるといいます。
このような智慧を備えていらっしゃる仏さまには、この世界は浄らかで、平安な姿として映じられているのでしょう。たとえてご説明すれば、車の運転中 交差点で赤信号ならば、左右の道路はまもなく青信号となるから、左右の車が安全に通れるように車を停めます。お出掛けの日に雨が降っていれば、農作業のお方はお喜びなのかしらと思いを巡らし、傘をさします。
私たちの住むこの世界は、いろんな悲しいこと、嫌なことが起こっています。私たちは日常多くの人と一緒にお仕事したりして、過ごしていますから、どうしても「癇にさわる」ことも少なくありません。「その場に応じて、なすべきことを成し遂げる」といっても、それぞれ事情があり、できないことも多々あります。だから、必ず、こうしなければならない、こうすべきなのだという訳ではないのです。「自他法界同利益」(自らも安穏となって、他のお方を安穏にしよう)といって、容易には「成し得ないことを成し遂げよう」と心に誓うことはとても大切で、仏教徒として欠かすことのできない要件であるのですが、理想をもって、日々「成し得ることを成す」ことは、とても楽しいことなのです。仏さまは、浄らかで、平安な世界を楽しまれているのです。
画像はWikipedia釈迦より、サールナート考古博物館蔵、初転法輪時のお釈迦さまのお姿です。
