胎蔵マンダラ(19) 釈迦牟尼世尊と大日遍照尊
今回は、胎蔵マンダラにおける釈尊(= 釈迦牟尼世尊)とマンダラの仏である大日遍照尊とのかかわりについて、釈尊が配されている場所の意味を考察することで説明してみます。「釈迦院」については、胎蔵マンダラ(7)において簡単にご説明いたしましたが、少々不備あり、ここではいまいちどより詳しく解説いたします。
まずは、釈尊が配されている場所を確かめることから始めましょう。それは「第二院(gnyis pa’i cha)に往きて 東方の初門の中に 釈迦牟尼(śakyāmuni)を画け」(「具縁品」第二)とあり、一切遍知印(tib. sangs rgya rnams kyi phag rgya諸仏のシンボルmudrā)の上部となります。胎蔵現図マンダラでは、釈尊の周りに、(35)遍知眼(「能寂母」、? 171.一切如来宝)、(36)毫相(ūrṇā. 174.毫相明)、釈尊の頭頂から発せられる光明、陀羅尼の功徳を尊格化した(37-41)五仏頂、(47-49)三仏頂をはじめ、如来=乞底(śakti)、如来牙との「如来衆徳荘厳尊」と呼ばれるさまざまな尊格、さらには如来の説法の徳を表わす如来舌・如来語・如来笑[= 如来弁才]、そして主要な仏弟子である187.舎利弗、184.目ケン連などが配され、計三十九尊の多くから構成されていました。また前回(18)で述べたように、上記の諸尊とともに、釈尊と同列に配されていた火天(agni火仙)、閻摩王(yama)、そして弁才(sarasvatī)などのヒンドゥーの神々は(、および五部浄居天をも含め)マンダラの周縁部に移動、配置換えされ、「外金剛部院」となっています。
次いで、胎蔵マンダラにおける釈尊のお姿を見てましょう。それは「三十二相を具し 袈裟衣を被服し 白蓮華台に坐せり 教をして流布せしめんが爲に 彼処(padma dkar po, puṇḍalīka白蓮華)に住して法を説く」(「具縁品」第二)とあり、現図では「左右手とも親指と薬指、中指とを相捻し、[左手を]内側に向ける転法輪印」(石田尚豊[127]参照)を結んでいます。説法相としては「[右手の]大母指、中指と頭相捻し、余の三指、微かに屈し散伸す、左手、左膝の上に仰のげ、無畏を施す」(『一字仏頂輪王経』)とするものもありますが、いずれも、お釈迦さまが、私たちの理解できることば(言語)をもって、法を説かれたお方であることを表しているのです。そしてその座は「白蓮華台」とあり、『大日経疏』巻第五によれば、「白蓮花は即ち是れ中台の淨法界藏なり」と解釈され、胎蔵マンダラの主尊である大日尊と同じとされているのです。ただし、胎蔵現図マンダラでは、大日尊が坐する中台の八葉蓮華の蓮弁は「赤色」に画かれ、釈尊のそれも赤くみえています。添付の画像は、線描が高雄マンダラ図像、彩色が頼富先生『マンダラの仏たち』収載の中村佳睦のものです
さて、胎蔵マンダラにおける釈尊とマンダラの仏である大日遍照尊とのかかわりについてご説明申し上げますが、それをご理解いただくためには、どうしても『大日経』具縁品第二から、重要な記述を、ひとつ引き合いに出さなければなりません。それはとても難解な一節で、以下のようにあります。
時に佛(大日尊)は一切如來一體速疾力[という]三昧に入りたまう。是に於いて(= その三昧に入ったままで)、世尊[大日尊は]復た(= 次いで)[聴き手の代表である]執金剛菩薩に告げてのたまわく、
我[は]、昔(= かつて)、道場(菩提道場bodhimaṇḍa)に坐して四魔(蘊魔、煩悩魔、死魔、天魔)を降伏し、大勤勇の声を以て衆生の怖畏を除く この時に梵天(brahmā)等[は]心に喜んで共に称説す これによって諸の世間[は、私を]号して大勤勇(mahāvīra)と名づく 我[は、一切諸法の]本不生([ādy]anutpāda)を覚り 語言(vāc)の道(*gocara, viṣaya)を出過し 諸の過(doṣa = rajas)を解脱することを得て 因縁(hetu-pratyaya)を遠離せり 空(śūnya空の智)は[一切の分別を離れて]虚空(kha)に等しと知って 如実相の智[が]生ず、云々(服部本p.84)
この一節は、マンダラの仏である大日尊が、釈尊の成道を、私のこととして語っていることに注意してください。私たち、仏教を少し学んだ者は、それをいとも簡単に、成道時において、釈尊は大日尊と「即」(不二)の状態にあった、と仏教語をもって言ってのけてしまうのですが、ここでは、自ら自身も納得できるように、普遍・特殊・個別という用語を用いて説明するよう努めてみましょう。
大日尊は、マンダラの仏、すなわちマンダラの中尊であると同時にその全体であるという意味で普遍的な存在(常恒三世・遍一切処)であります。一方、釈尊は、胎蔵マンダラにおいて「東方の初門の中」という個別の場所に配されているという意味で、特殊的な存在となります。釈尊は、もちろん、この地球という天体において、2500年以上前にではありますが、さとりを開かれたという、釈尊としての特殊性を有しています。しかしながら、彼の成道は歴史上のひとこまであっても、普遍的なできごとであったといわねばなりません。いいかえれば、釈尊の成道は、まさしく成仏、成三菩提(abhisambodhi『大日経開題』「この覚もまた因縁所生にあらず」)に値する、大日という普遍性によって貫かれていたのであると『大日経』はとらえ、「我(大日如来)昔、道場(菩提道場)に坐して 四魔を降伏し、云々」をもって、大日としての特殊性は、直接に釈尊としての普遍性でもあることを表現しているのです。なお、釈尊による説法は、対機説法とよばれ、理解能力が低く、さまざまの志向をもった私たちに対してなされたものであるという意味で、個別であり、さらにいえば、その説法、経典の伝承によって再構築された釈尊の成道も個別であります。しかし、その個別が個別にとどまらず、普遍へと転換される可能性はもとより有しています。『大日経』はそれを認め、普遍へと転換された釈尊のさとりを「我[は、一切諸法の]、本不生を覚り」云々、もしくは「A Vīra Hūṃ Khaṃ」(「悉地出現品」第六)という真言をもって表現したのです。
釈尊が胎蔵マンダラにおいて、説法のお姿で示され、そして大日尊と同じ色の蓮華を座とし、「東方の初門の中に」配されていることには、以上のような意図が読み取れるのです。仏教語を用いて簡略に申しますと、「即」の状態とは「普門」と「一門」の関係であり、「不二」ともいえます。すなわち、全く同じ(同体)であれば不二という必要はなく、同一といえば済む。全くの別もの(別体)ではないから、二とはいえず、不二であるというのです。それを二而不二(ににふに)・不二而二ともいいます。お疲れさまでした。
次回は、中台八葉に配される四仏・四菩薩を通して、大日遍照尊のさとりについて説明してみます。そして次々回は、ヒンドゥーの神々が胎蔵マンダラの周縁部に移動されたことによってより明瞭になった、胎蔵マンダラの宗教的意義について述べ、最終回は、マンダラの色彩についてご紹介する予定です。
(参考)山崎泰廣先生「『大日経』における仏陀観」1987