胎蔵マンダラ(18)チベット所伝の胎蔵マンダラ
前回の蘇悉地院で、胎蔵マンダラの十二院の説明はひととおり終えました。今回は、チベットに伝わる胎蔵マンダラをご紹介して、もうしばらく、お話しを続けたいと思います。
まず、胎蔵マンダラには、空海弘法大師が中国より請来し、当時最新の、そして現在においては最も標準的な、いわゆる現図マンダラ以外にも、胎蔵図像、胎蔵旧図様と呼ばれる、現図マンダラに至る発展過程を示し、より古い形式を伝える胎蔵マンダラもあり、そして『大日経疏』という『大日経』を漢字に翻訳された善無畏三蔵と一行禅師による解説書に説かれる、経疏のマンダラと阿闍梨所伝とよばれる胎蔵マンダラなともあります。もちろん、現図胎蔵マンダラにも、高雄マンダラ、御室版、元禄本など、多くの類本があるのです。
さて、現図胎蔵マンダラとチベット所伝の胎蔵マンダラを見較べると、幾つかの相違が指摘できます。
まずは、マンダラの中心部の八葉蓮華には、現図マンダラでは大日、四仏四菩薩の八葉九尊が画かれているに対して、チベット所伝では、大日一尊のみが配されています。ついで、お釈迦さまが画かれる場所も少し違います。チベット所伝の胎蔵マンダラでは、お釈迦さまの周囲には、その頃、そしていまもインドの人たちに信仰されている、ヒンドゥー教の神々などが配されています。それらはお釈迦さまの教化を受けいれ、世護天(護法天)として役割をもった神々なのです。それが『大日経』での当初のプランでありました。一方、現図マンダラでは、それらの神々は、「釈迦院」とは別枠として、「外金剛部院」もしくは、「最外院」という名称で、マンダラの周縁部を囲むように配置されています。
さらには、マンダラに画かれる尊数も異なります。現図マンダラが、公式見解として四百十四尊(多少、尊数の増減あり)であるのに対して、チベット所伝では百二十二尊で、空白の部分も少なからずあります。それは、チベット所伝胎蔵マンダラは主として『大日経』の所説に忠実に画かれているのに対して、胎蔵現図マンダラは上下左右、完全なシメントリカルとなるよう、各院に中心尊に対する眷属が新たに、補充、整備されていったことに基因するのです。それ以外にも、チベット所伝の胎蔵マンダラでは遍知印が逆三角形となっていることなどが相違として指摘できます。
まず今回は、チベット所伝の胎蔵マンダラと現図マンダラとの相違について、いくつかご指摘するにとどめて、次回はそのうち、胎蔵マンダラにおけるお釈迦さまの場所について考えてみましょう。