ブログを始めるに至った事情。

お世話になっているお寺のインスタグラムで、胎蔵マンダラの記事を書き始めて、1ヶ月半ほど、今回で第16回目となります。一回の文字数が多くなりすぎ、前回は続くとして、二つにわけて配信することになってしまいました。そこで、新たに、同僚の詳しいお方にお願いして、新しいパソコンを購入していただき、さらに個人用のブログも立ち上げていただき、こちらでも配信できるようになりました。感謝です。さて、胎蔵マンダラ(16)としての配信ですが、これまでの記事は、恐れ入りますが、「釈迦寺インスタグラム」でご覧になれますので検索してみてください。胎蔵マンダラの記事は後5回ほどの予定です。(合掌 良海)

 

胎蔵マンダラ(16)千手観自在菩薩 VS 一百八臂金剛蔵王菩薩

 

 今回はまず「十三大院」(空海『大日経開題』衆生狂迷本に用例あり。現図胎蔵マンダラは「四大護院」を一院として設けず、十二院に分かつ)と称される現図胎蔵マンダラの全体図をご覧ください。この全体図にもあるように、虚空蔵菩薩を主尊とする「虚空蔵院」、その左右に大きな円(○)があります。向かって右(南方)はフーン(hū)一百八臂金剛蔵王菩薩であり、左(北方)はキリク(hrī)千手千眼観自在菩薩を表します。それぞれは、その名の通り、金剛薩埵とその眷属が画かれる「金剛手院」と、観自在とその眷属の「蓮華部院」との下部に関連性をもって配されています。今回はその両尊について取り上げます。

 

千手千眼観自在菩薩(以下、千手観音)は「面有三目、一千臂、一一掌中各有一眼」(智通訳)とあるように、千本の手(sahasrabhuja)を有し、その手のひらに一つずつ、千の眼(sahasrākṣa)の開く観音菩薩です。「千」とは円満、きわめて多い、との意味で、「頂上五百面 具足眼一千」とする場合もありますが、現図胎蔵マンダラでは、二十七面、千手(四十二手)のお姿で画かれています。画像は元禄本(彩色)です。二十七面とは上七面、七面、五面、五面、正面、左右の二面をいい(「三面千手」。他の説もあり。「二十七面とは、三界有情の迷いが、1地獄有、2畜生有から第25の非想非非想処有に展開する二十五有の面の本面と本師阿弥陀仏面を加えて二十七面となる」)、四十二手はさまざまな持物を執る左右各二十手に、合掌と定印の手を各一手として加えた数のようです(他の説もあり)。持物としては、数珠、与願印、開敷蓮華、水瓶のほか、日、月、錫杖、乾銷(= 鉾)、経典、如意宝珠、弓、矢などがあります。千手観音について、実は、胎蔵マンダラの典拠となる『大日経』本文には記載はなく、このようなお姿の千手観音は、千手観音マンダラを説く『摂無礙経』(『摂無礙経大悲心陀羅尼計一法中出無量義南方満願補陀落海会五部諸尊等弘誓力方位及威儀形色執持三摩耶幖幟曼荼羅儀軌』)を参照して、現図胎蔵マンダラに「加えられた」ことが、石田尚豊の研究によって解明されています。(田中公明『千手観音と二十八部衆の謎』2019)

千手観音のご真言は、「おん ばざら たらま きりく」(Oṃ vajradharma hrīḥ)とお唱えします。種字(hrīḥ)は、この真言の末字に拠るものなのでしょう。

千手千眼というお姿は、伽梵達摩訳『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』(通称『千手経』)によれば、観音さまご自身が求められたお姿であるというのです。それは「若しわれ当来に、一切の衆生を利益し安楽するに堪能なれば、われをして即時に、身に千手千眼を生じて具足せしめよ、と。発この願を発し已るや、時に応じて(=即時に)身上に千手千眼、悉く皆な具足せり」とあり、とても印象深い一節です(伊藤丈『「七観音」経典集』1996)。千手千眼とは、観音菩薩の衆生救済の働きを最大限に表現したお姿なのです。

なお、千手観音を「蓮華王」と称する用例があります。たとえば、京都東山七条・三十三間堂の正式名称は「蓮華王院」といいます。それは恐らく、千手観音を、福智自利利他の行において無礙自在を得たる、蓮華部院の「果徳」を表わす仏さまとして、虚空蔵院に配されていることに起因するのでしょう。

 

次いで、一百八臂金剛蔵王菩薩です。画像は同じく、高雄曼荼羅図像のものをご紹介します。「二十二面」(「六度の菩薩と十六大菩薩の徳」)と記されることもあるようですが、現図胎蔵マンダラでは、「身青黒色、十六面(中略)一百八臂、執持種々器杖械」のお姿として画かれています。

金剛蔵王という名称について、その「金剛蔵」は、『大日経』本文には、執金剛(vajradhara. 金剛手vajrapāiとも)を指しての用例が一カ所あり(「金剛藏の右には 所謂、忙莽雞(māmakī「金剛部の母」)あり」。ただしチベット語訳では「その右に」とあるのみ。服部本69頁)、金剛蔵とは執金剛に他ならず、胎蔵図像に「金剛部」の主尊として画かれる「執金剛菩薩」との記名があることもその証左です。ただし胎蔵図像でのお姿は「執金剛秘密主菩薩、左手、三股金剛杵を堅持し、右手、掌を揚ぐ」(『不空羂索神変真言経』)です。さらに、金剛蔵の名は『陀羅尼集経』(「金剛蔵」、「摩訶跋折羅波尼羅闍*mahāvajrapāṇi-rāja」大金剛手)にも登場するのですが、それが『十地経』(『華厳経』の一品)の主要な対告衆である金剛蔵菩薩(vajragarbha)といかなる関連にあるのかについては、頼富本宏先生の業績(「仏教パンテオンの構成」1988等)以後、現在研究はさらに進んでいるのでしょうが、いまの私は寡聞にして分かりません。

一百八臂金剛蔵王菩薩は、「金剛手院」の果徳を表す仏さまとして、千手観音との対応上、すなわち左右対称のバランスをととのえるために、多臂化されて、「新たに考案され」(川﨑一洸「三部三昧耶と三部諸尊」)、配置されたのでしょう。なお「「百八臂」という数は「百八煩悩を断じて百八三昧を成就する義を表す」(『密教大辞典』)という説明の外、「金剛界の一百八尊を顕示するの深意なり」(高岡隆心僧正講述『曼荼羅抄講録』)と解されることもあります。マンダラには、いまだよく分からないことがたくさんあるのです。フーン(hūṃ)という種字は、ここでは金剛部の共通の種字として採用される音声です。

以上をまとめれば、「虚空蔵院」における千手千眼観自在菩薩と一百八臂金剛蔵王菩薩は、それぞれ「蓮華部院」、「金剛手院」に配される菩薩方の修行の成果を集約し、それを体現したお姿として配されているのです。