時間ができたので、本を読んだり、インド哲学の勉強をしたり楽しんでいます。

いわゆる「つんどく本」がたくさんあったので一つ一つ処理中です。

 

バガバッドギーターについては、もうひと段落ついて、チェックボックスに済マークを付けました。

次はヨガスートラに取り掛かります。

 

さて、ヨガ哲学を勉強していると、しみじみ「私が私だと思っているものも全てマヤカシ(マーヤー)なのかもな」と思います。

例えば、私(ひとみ)という人間を形容するときにどんな言葉を使うかというと、

 

*配偶者が聖職者

*3人の男の子のお母さん

*アメリカ在住

*京都の大学出身

*子供達を日本語の学校に通わせている

 

というような言葉がすぐ浮かんでくるのですが、実はこれ全く同じ条件に当てはまるお友達がいるんです。

しかも牧師さんの奥様。

もう残念ながら日本に帰国されたけれど、びっくりするほど似ている部分がある。

 

そうなると、私が私だと思っているこれらの条件は私を表しているようで全てではないんですよね。

ある朝起きて、私以外の全員が「あなたは僧侶の奥さんではなくて牧師の奥さんの方です」と言ったら、私は私でなくなるのか。

反対も然り。

私だけが「私」であると思っているのか。。。

 

「私」が私でいるのって、周りからの認識と自分の過去の記憶だけが頼りの危ういものなんですよね。

ヨガでも仏教でも「自己」を疑い、「自己」を否定するという教えがありますが、意味がよくわかるなって思いました。

映画の「マトリックス」とか、「君の名は」とかはものすごく哲学的だなと思いながら観ております。

 

「Buddhismは、BuddhIsmのIをiにする(小さくする)」

 

と旦那さんがよくお話してますが、Iをiにするためにはしっかりお話聞かないとだめですね。