これまでどれくらい書いてきたかを数えたところ約1600回だった。以前のものを読み返してみると同じようなことを幾度も繰り返して言ってるものや、今はもう少し別な考え方をしているものがある。

 

 もうどれくらい書き続けられるかわからないが、もっとまとまりの有るものにしたいのと、未整理状態になっている19もあるテーマも整理統合するなどして、改めたいと思うようになった。

 そのようなわけで今後は過去の記事でも改めるものは改訂して投稿しようと思う。また間を置かずに書き続けるのも辞めよう。



 中学生くらいの時は人はいずれ死ぬのに、何で生きねばならないかと思う時期が有った。

 60際近くなってからは今回の人生を迎えた意義や、どのような心境で死を迎えたら良いのかをよく考え、それを実に長時間考えたものだった。

 気がついたのは精神世界、生き方を考えるのは長い時間がかかり、多忙ではなかなか難しいこと。

 もとよりそれらを考えることに天分が無かったというのも大きい。向かないことを考えていたのだ。

 それでも、槃特の愚痴も文殊の知恵 というようにたとえ物分りが悪くても色々わかったこともあって、今では執着や恐怖は無い。

 現実世界で起きていることは、世間虚仮というものだ。賢くなるには長い時間がかかるだろう。いわばホモ・サピエンスの限界がある。一生という短い期間ながら見守るしか無い。

 私は決して親切でも愛の深い人間でも謙虚でもなかった。慕ってくれる人も多くなかった。それでも家族は大切にしてくれる。それだから日常については感謝して過ごす。