私がまだ小学生だったころ、隣の家がトラックを買い、その家の子供が得意満面だったのを覚えている。

 

 どうだ、俺んちは凄いだろう、という感じ。ガキだった我々もカッコイイと思ったものだった。

 大型トラックの運転手はモテタもんだよ、と20歳も年長の先輩から聞いた。

 今、運送業界の運転手不足が言われている。来年には深刻な問題になるそうだ。ただし、これは長期的にはあまり心配する必要は無いように思う。

 だいたい、免許というものは社会の需要に応じて取りにくかったり、甘かったりする。需要が逼迫している職業の免許は極甘である。

 

 逆に例えば個人タクシーの免許を法人タクシーの経験無しで取ろうとすると役所の悪意を感じるほど難しい。個人タクシーは稼げる時間帯しか働きたくないので公共交通機関としては法人に対しやや劣る。そこでお役所が加減している。ただしこれは東京の場合で他県はそれぞれ違うかも知れない。



 現在、大型の免許は取る人は少ない。職業そのものがあまり重んじられないイメージがあるためだ。また、働きにくくもある。

 我が国の悪弊だが、発注側、受注側など上下関係を持ち込む奴がいる。納期、納入時間が不必要に厳しい。納入場所への進入時間が決められていて、それ以前は構内に入れないなどもある。道路上で待機するが、それで近隣から苦情が有る等、労働環境は良くない。

 

 何で詳しいかって? やったこと無くても少し考えりゃぁわかるだろう。

 

 運転だけでなく、倉庫作業もさせられるなど有る。こういうのも日本社会に多くある職務範囲の曖昧さや業者同士の上下関係などあって、労働者がいやになる要素に事欠かない。我慢強い人間でないと難しいのだ。

 

 また、不合理に鈍感な人間、妙にへりくだる者もいるという事情もあり、これで改善が進まない。



 こういうものを一掃するのは、なり手がいない、というのが一番良い。つまり困ったことが起きる、待ったなしの状況の起きるのが良いことなのだ。

 

 

 

 大型免許は甘くなるだろう。それも県ごとに異なると思う。

 

 

 

 

 来し方を思い返すと我が国は人間同士は対等という考え方に反する行動や慣習が多かったと思う。そういうものが少なければ少ないほど働きやすい社会と思うのだ。