イスラム教徒はごく普通に流布しているイメージとしては良くない。過激という漠然としたイメージを持たれているかも知れない。

 ただ、イスラム教はムハンマドが存命のときでも半月刀を振りかざして信仰を受け入れるか、死か、というものではなかった。

 税金さえ納めればそのままで良いぞ、ただし祈りを捧げているときは邪魔するな、程度だった。


 意外にもイスラム教は異教徒に寛大な宗教なのである。そりゃぁ過激派はいる。それはどこにでも愚か者は居る、ということだ。


 過激派というのはだいたい男であってしかも独身が殆どだ。

 

 残虐、蛮行という点では、キリスト教徒のほうが全く見劣りしないのは歴史を学べば気づく。


 イスラム国家であったオスマン帝国は支配地域に 多くの言語、宗教、民族 を抱えながら苛政を行わず、また大きな叛乱にも遭わず600年の長きに渡って続いた。何故そんなに長く続いたか、となればそれは統治が寛容だったためだ。

 終わりを迎えたのはヨーロッパ列強が相対的に強大になったためだ。支配地域に豊富な地下資源のあることは不幸を招いた。

 結局は打倒され、今は共和制になっている。

 かつてのオスマン帝国の一部、今のイスラエルでの紛争はイギリスの二枚舌、三枚舌の齎したものだが、今それを言ってどうなる。今更感しか無い。


 ユダヤ人はこれまで2000年にもわたって我慢してきた。これからの50年、100年の我慢に何ほどのことがあろう。長く考えるのは慣れてる。
 
 殺し合いはいずれは飽きる。

 そして結局国境や住む地域は銃口が決める。

 

 歴史を見れば正義はいずれに有るか、というのは不毛だ。負けた方は正義を語れない。

 



 一日五回祈りを捧げる習慣を持つ民は結局は追い払われるのだろう。