昨日はグズグズ考えたがる人について書いた。

 

何故こうなるのかと言えば、要は今決めなくて先延ばししたい、という気持ちからなのだ。

 さらにまたそれは何でか、となれば、結局はXX(ピー)だからとなり、それで大部分話が終わる。

 だがもう一つ大きな理由があると思う。それは、日本語の持つ本質的な欠陥だ。

 私は文章を書いていて、ときおり主語、述語、目的語、補語に時折混乱を発見することが在る。頭の中で混乱は無いが、書いてしまった時に混乱が生じているのだ。



 サンスクリット、ラテン語ではそれは生じない。厳格で複雑な文法があるからだ。

 

 初めてサンスクリットについて知ったときは感動した。サンスクリットの場合は1000年以上も前に文法が確定し,それ以後変化がない。これを母語とする(実際は称してるだけと思われる)人が5万人程度いるそうだ。

 



 ラテン語は今もサンスクリットを遥かに超える多くの学習者があって、ヨーロッパの知的エリートはそれに親しんでいる。



 我が国でラテン語の学習は敵わない望みだが、せめて英語だけでも公用語にしたら良いと思う。