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抗ガン剤セカンドライン中止、腹腔内化学療法開始予定です。


腹腔内ポート造設入院手術より退院し、今日から日常生活!


そこで暇が出来ましたので、私のがんが見つかった経緯について書きたいと思います。


最初の兆候は、物を食べた時の引っかかる感じでした。
食べた物が下にスムーズに降りて行く物と、降りていかない感じがする物がありました。
胃潰瘍の症状によく似ているみたいです。

私の場合はなぜかフルーツ、納豆、甘酒などの栄養価の高そうな物に限って引っかかり感が強く、いまだにフルーツには苦手意識がありますが、そういう人の話はあまりきいたことがありません。スキルス胃がんの方でも、フルーツなら食べられるとか、ゼリーなら食べられるという方は多そうですが、私のようにどちらも食べ辛い人は少ないようです。

同時に腸に痛みがあり、日に日にすごい音をたてるようになり、お腹も膨らんできました。妊娠7ヶ月くらいに膨らんでしまい、物を食べるのも辛い状態になりました。

しかし私は昔から丈夫が取り柄で、病院に行く習慣がなく、健診を受けるつもりもありませんでした。検査で変な病気が見つかったら嫌だから行かない、というタイプ。

近親者にもがんはほぼ1人もおらず、身近な病気ではなかったので何の興味もありませんでした。

という私でさえ見過ごすことが出来なくなってきたので、色々と調べて胃カメラが非常に楽だという評判の、かなり家から遠いクリニックにわざわざ出向いて、胃カメラ検査を受けました。

その場で言われたことは
「生検に出しますが、がんには見えませんね。恐らく胃潰瘍でしょう。」
ということでした。他にも不調な腸のほうも同じ病院で調べることになり、次週の予約を取りました。
が、その検査を受けるまでもなく、その日の夜に腹痛で緊急搬送される羽目になってしまったのでした。

それからは小腸閉塞、という診断のもと1ヶ月ほど入院。
その間に、前述の胃カメラ検査の結果が「胃がん」であることを知らされ、「腹膜播種」ステージはIV、余命は一年、と知らされることになりました。

その日はさすがに眠れなかったのですが、月日が経つにつれて段々と身体も元気になってきて、弟の知り合いの方に良い病院を紹介してもらうことになり、徐々に心の健康も取り戻してきました。

今思うと、がんになったばかりの頃は物の見え方が新鮮で、落ち込みはもちろんありましたが、生活の楽しみを見つけるようになりました。
自分はがんになるべくしてなったんだなぁと思いましたし、身体の辛さはもうなくなっていたので、むしろ脳天気でした。なんだ、大丈夫ではないかという根拠の無い自信があり、単に甘いだけの当て推量で毎日を過ごすことになりました。

抗ガン剤で髪が抜けるかも知れないと覚悟していましたが、最初の抗ガン剤は抜けないタイプの物だったので普通に生活出来ましたし、副作用のほうも他人が言うほど辛くないではないか、と思っていました。

大きかったのは主治医の言葉です。
「2、3年後大きく状況が変わるかも知れないですからね。その時にやってあげられるのがこの病院ですからね。」
「あきらめないで。」
といった言葉や、病院のブランド、新薬のオブジーボの治験をやっていることなどで、心の健康を保つように努力しました。

ところが抗ガン剤始めて8ヶ月後、どん底に突き落とされたような気持ちになりました。
とても簡単なこと、ファーストラインが奏功しなくなったのです。基本的な事です。

同じ主治医の口から、手の平を返すような言葉を聞くことになりました。
「治験は中止です。次の治療を始めますが、効く可能性は20%、余命も言いましょうか?半年です。」
今までは治験患者ということでかなり手厚くして下さっていると思いましたが、突然その手厚さがなくなり、「普通の」患者となりました。

「これから腹痛などで食事が摂れなくなれば、ポートを入れます。腸にはステントを考えています。」
と、悪い事態を予測しての説明を受けました。

その後医師の予測通り腸閉塞になり、入院手術、人工肛門造設となりました。

それでも心のこもった手当てをして下さったと思います。
私の望んでいる治療、腹腔内化学療法をやっている病院に紹介状をお願いするため、お話したいことがあるので寄って下さいとお願いしたところ、とっくに帰宅されていてもおかしくない時刻であったにもかかわらず病床まで来て下さいました。

嫌な顔一つせず、急ぎで紹介状を書いて下さいました。

それはほんの一例で、ここには全部書ききれないほどに、手を差し伸べて助けようとしてくれている人が沢山いるのに驚いています。
がんにならなければ解り得なかったこと。
感謝、感謝です。

今は食事を摂るのに時間がかかること、脱毛、人工肛門が煩わしい毎日ですが、がんになったこと自体は、まあ自分にふさわしい出来事であったし良いことも沢山あったと頑固に思い続けていますし、乙武さんではありませんが、不便ですが不幸ではありません、といったところです。
そう思わないとやっていられないというのもあります。

とは言っても、絶対に愛する人にこんな思いをさせたくないし、家族にも負担をかけていて申し訳なく思います。

いささか生意気で当たり前のことで恐縮なのですが、どこか調子の悪いところがあれば直ぐに病院に行って欲しいなあと思います。
自分でしたことは、必ず自分に返るのですねチュー