言葉の暴力で心がどれだけ傷を負いどれだけ血を流しているか誰にもわからない、私自身も。あの悪意に満ちた嫌な言葉は刃渡り何センチかな、何度も刺されて身動きできない。私はあなたと同じ人間だよ、ばい菌じゃない。くる日もくる日も私は人間ではない違うもの。お母さんは人間ではない汚いものを産んでしまった。あそこはどす黒くて怖い場所だから行きたくないんだよ、言葉にできず、泣いても泣いても引きずって連れてかれて今日もまた死んだ。誰も助けてくれない。先生も汚いねって。死ね死ね死ね。生きてちゃだめなばい菌だから、言われなくても死ぬ死ぬ死ぬ。。。いじめられていた私へ。生まれて生きていてくれてありがとう、優しい子。人として生きるためにそんな場所には行かなくていい、あなたはあなたのままで大丈夫。そう言って私は一回り小さい私の手をとって、そして優しく抱き締めてあげたい。
私は大人数の前でマスクが外せません。それはコロナや感染症が怖いからではなく人が怖いからです。昔からおとなしい子だったのでいじめの対象となり、近寄るな!汚い!とばい菌扱い、その言葉で喉の奥がきゅっと閉まりより口数は少なくなりました。半世紀生きてますがいまだに、人に見られたくない、人から傷つけられたくない、と不安症はずっと続いています。皆の前で何かを発言する時、元々小さな声は不織布を通してより聞きづらくなり、マスクをしてるから何言ってるかわからない!と強い口調で言われ落ち込みます。人は皆色んなことを抱えて生きています。病気、辛い経験、苦しみなど、笑顔の裏で必死に闘ってる人もいます。私は自分や多数派を基準に考えず固定観念を捨て想像力を持って人を見ていきたいと思っています。たかがマスクと思う人も多いかもしれません。でも私にとってマスクは自分を守るための鎧のようなものです。
♪50歳の夏休み♪
作詞 おかん
作曲 A I(音楽生成A I)
脇汗滲む夏の午後
とっくに悲鳴を上げてる50肩
家事と介護と仕事と育児
自分の時間はどこにある
うるせえ死ねの暴言ばかり
娘のメンヘラかなりヤバい
反抗期思春期上等だよ
でもそれって私の育て方?
50歳に夏休みなんかありゃしない
半世紀生きてんのに
なんだよこの生きづらさ
ただ海が見たいだけ
ただ本を読みたいだけ
ただかまってちゃん聴きたいだけ
夢は必ず叶うとか
生きてりゃいいことあるよとか
誰がどの口で言うんだよ
そういうあんたは成功者
こう言う私は脱落者
いつになったら楽になる
夏でも車はノーエアコン
金なきゃ心もすさんでく
50歳に夏休みなんかありゃしない
半世紀生きてんのに
なんだよこの生きづらさ
ただお笑い見たいだけ
ただ1人旅したいだけ
ただかまってちゃん聴きたいだけ
ただかまってちゃん聴きたいだけ
私の小学生の娘は場面緘黙症と診断され不登校だ。家から1歩外に出れば心も体も緊張し言葉を発することは難しい。ある日突然、ギターを習いたい!と言った。自分のテリトリーに他人が入ると体は硬直し私がいないと安心できなかったのに、今では先生と2人向かい合いギターを教わっている。好きなバンドのライブにも行き体を跳ねて腕も振り上げている。今までからはとても考えられないことだ。好きなことは人生を変えるパワーがある。それは見つけようと努力しても見つかるものでもない。何かを見て心が震えた瞬間があり自分なりに決断し行動している娘。学校は未だ行けないけれど、この子は大丈夫だ!と親として信じている。私は歳とともに自分に言い訳して好きなことも諦めてしまうことが多い。でも今、娘の思いが私の心を動かしドラムを習いはじめた。そして夢はいつか娘と一緒にセッションすることだ。
あー今日も疲れた、、とため息をつきながら仕事帰り車を運転していると、横断歩道を渡ろうとしている小学生くらいの子がいた。車を停めると、その子は横断歩道を足早に渡りきり立ち止まって振り返ると、私に向かっておじぎをした。えっ⁈そこまでされたのは初めてだった。以前どこかで、横断歩道で停まった車にありがとうと言うのは何でなの?と子どもに尋ねられた親が、運転手さんを喜ばせるためだよ、と教えているのを思い出した。結果的にはそうかもしれないが、人が喜ぶからやる、それが目的だとしたら私は少し悲しい。純粋に、運転手さんは、安全に渡れるようにと見ず知らずのあなたのことを心で思ってくれた。ありがとうを伝えることで優しい心が通じ合えるんだよ。そう教えたい。丁寧な子どもの姿に1日の疲れがどこかに吹き飛んでしまった。優しい心をありがとう。
私は陰キャです。先にそう言って逃げ道作ります。意味を調べれば、引っ込み思案で内気な人。陰湿で周りの人を暗くさせる人、これは胸にグサリとくるので、ぜひ前者を主張したいです。半世紀以上生きていてもそれが私です。生きにくい社会に適応するために自分を変えたいと思っても、根本的な部分は簡単には変えられません。でも思うのです。内気や引っ込み思案は悪いことで、陽気や強い自己主張は良いことなのだろうか。世の中陰キャだけだったら、陽キャだけだったら、。昔はヲタクというマイナスなイメージを持つ言葉もありました。人は夢中になれることがあるヲタクの方が幸せだと思います。もしかしたら私はある面では陽キャでヲタクかもしれません。他人もそうです。言葉で人は括られてしまいます。それでもその中でそれぞれの良さを見出して私は生きていきたいです。
妊娠中にイボ痔の手術をした時。
帝王切開だったけど産みの痛みよりそっちの方が数百倍痛かった。
強い麻酔も打てず痛み止めも飲めず1週間のたうちまわり痛すぎて死にたくなった。
子どもの死因の上位にいつも自殺がある。
不登校で家にいる娘も時々死を口にする
テレビでアナウンサーが言う
「その環境から逃げてください
逃げることは悪いことではありません」
家にも学校にも居場所がない子は
どこに逃げたらいいんだよ
「大人達は子どもの逃げ場所を作ってください」
その方が私は納得できる
親として今願うのは
生きてそこにいてほしい
それだけ
私は子どもと関わる仕事がしたくて保育士の勉強をしている。子ども達を守る法律が様々ある中、日本国憲法の教育を受ける権利を読むと子女という言葉が出てきた。違和感を感じ語源を調べると、子女の子(し)は男子、女(じょ)は女子で、子ども達、という意味。では息子と娘は?むす、は苔むすの生まれるという意味で、息(息吹く)する子は男子。王子、王女は?。5月5日は子どもの日、男子を祝う祝日。3月3日は?いずれも「子」は男子で女子は含まれない。 昔から今なお続く男女差別、女性に選挙権すらない時代もあった。差別は昔から使われている言葉の中に隠されている。知らぬ間に使い目や耳から入り心に染み込んでいく。子どもは男女関係なくたくさんの可能性を秘めた未来ある尊い存在。それをうたう法律の中に未だ出てくる差別用語。言葉は重い、まずはそこから変えていく必要があるのではないのだろうか。
私の夫は不平不満を言わない、他人に怒らない。結婚して13年ほどになるが思い起こしてもやはり怒りの顔を見たことがない。4年前脳梗塞で倒れた時も、長年バスの運転士をしていたが続けられず会社に居場所がなくなった時も、私が反抗的な娘に怒鳴りそのとばっちりを受けた時も、平常心を保っている。試しに夫が買ってきたお菓子をこっそり食べてみた、それでも怒らない。私はといえば、自分や他人への不満を機関銃のように夫に喋りまくり、そしてやるべきことをやってくれない娘に毎日鬼のように怒鳴り散らしている。まさに赤鬼だ。夫に聞いてみた。「感情的に怒ったことあるの?」夫が言う、「怒ってもしょうがないよ、相手は変わらないし自分が苦しくなるだけ」、なんだか仏様のようで後光が差していた。怒りは自分が生み出している。その感情に支配されないようにする術を身につけ、いつの間にか頭に生えてしまったツノを葬り去りたい。