キリスト教での神様は、みいつの神様。

 

母体は、ユダヤ教だから

もとは唯一なる天地創造の神様だけだったけれど、

神様の御子であるイエス様が、

天地創造の神様は、本当のお父さんなんだよ、、と

霊的な真実の父としての神様を示して、。

 

イエス様の十字架後、

イエス様が、神様と霊的に死んでいた

人間の間にあった隔てを取り払い、

イエス様を信じる人は、天地創造の神様に、

元通り親子として繋がれるようになり、

 

天地創造の神様に、お父さんと

呼びかけれるようになったのです、。

 

ここで御父である神様と御子である神様イエス様と、

2人の神様の御存在が、確定しているわけですが。

聖霊なる神様は、どこ??ですよね。

聖霊なる神様は、霊的新生、

新しく生まれる時に関与します。

 

聖霊は、智慧と母性を持つ存在であり、

いわば母なる神様です。

 

お父さんである神様と共に働くときは

母のように、

 

御子イエス様と共に働く時は、

イエス様の妻のように、

支え助ける女性的な働きを持つ御霊です。

 

女性的な御霊であるので

新しい生命の生まれる時のサポート。

霊的に新生する時に古い自分を清めます。

 

 

ーーー

 

クリスチャンになる前の私は、

神社の神様の感覚で居たから、、

神様というものは、偉くて、、

高いところにいてデンと座ってる

イメージがあって、。(笑)

 

神様をお父さんと呼んでも良いの??

とびっくりしました。

 

でも不思議なもので、神様がお父さん、。

ということは、お父さんになってくれる神様、。

 

神様にお父さんになって貰えるのなら、、、

神様にお父さんになって欲しい、、。

どうすれば、良いの??となって

 

神様はお父さんだよと人に教えたイエス様を信じたら

神様にお父さんになって貰える。と思って

 

神様なのに、お父さん♥ 

 

めっちゃ最強の神様じゃない🥰

めっちゃ最強のお父さんだよー。

 

お父さんが欲しい。

もう孤独で寂しい人生は嫌だ。って思いました。

まだ高校生で、若かったころに、、。

 

それまでは、、両親共に家族内でゴタゴタしてて、

家族は身近に居たけれど、幸せを感じれなく、

モヤッとして生きてて、生きる事に希望もなく

 

神社行ったり、空に向かって

 

神様、本当に神様、居るの??

本当の神様に会いたい。

本物の神様に会いたい。

どこに居るの??って思ってました。

 

で、クリスチャンになる前に、、

色々な宗教を遍歴してて、、

スピリチュアルにもハマってました。

 

最後にたどり着いたのが、

神様だけどお父さん。

 

これが第1関門、、

あなたは神を信じますか〜ってとこ。(笑)

本当の神様との巡り合い。

 

第2関門は、

洗礼を受けてから、信仰生活を経て、

イエス様と心で直に触れ合い、、、

救いの体感を得ること。

 

頭で思考する知での救いではなく、

自分自身が救いを切望し

救いを体感する事です。

 

 

 

第1関門、、。

ここでパスして、、

他へ行くと、また出逢えるのは

いつになるかわからない。

 

でも、私は、他の新興宗教も、

既存宗教もほぼ回ってて、

お後がない状態でした。

 

これでだめだったなら、

神社好きだから神社一択になってたでしょうけど。

 

お後がないので、本当の本物であって

欲しいと願い思ってました。

 

他の宗教へ行ってたから、

わかったこと、、

お父さんになって貰える神様はいなかった。

 

宗教は、みんな基本的に

神様、本尊、信仰対象というものは。

高く祭り上げて、、

お布施、献金、御奉仕して、感謝すればするほど、

ご利益あるってパターンが定番、、お決まり。

 

神社は

自由にお賽銭箱にいれるだけ、。

教会も、洗礼受ける前は、自由献金だった。

 

洗礼受けたら、正教会員だから、

献金や奉仕の要請、

義務みたいなのがあったけれども。

 

洗礼受けたら、、教会を維持するための

歯車にカウントされるのは、

教会側の経営事情であるから、しょうがない。

 

神父や牧師だって言っても、

雲や霞食べて生きてないからね。

 

お父さんになって貰える

神様に、私は一目惚れ。

これが他の宗教と違ってたところ。

 

当時、肉体的な父親が頼れなかったし、

肉体的な母とは犬猿の仲だったので

心安らぎたくて、本気でお父さんが居て欲しかった、。

 

一目惚れしちゃったお父さん。

欲しいと思って、、早く手に入れたい、と、

教会に通いまくり、もう必死。苦笑

 

とりあえず教会行って、

イエス様や、お父さんのことを知り

勉強しないと洗礼は受けさせてもらえない

雰囲気だったからね。

 

聖書は、文語訳は読んでて、

行きだした教会は、口語訳で、

新しい聖書を何度も読みました。

 

あとから、、

イエス様のことを聞いて、信じて直ぐに

洗礼受けれた昔の人のことが、

うらやましかったです。

洗礼まで約半年以上かかり待ちましたから。

待ちくたびれて首が長〜くなりました。

 

 

洗礼受けれたときは、泣きました。

もうね、、嬉しくて、これでお父さんと

イエス様と永遠に一緒に居られる。って。

 

洗礼を受ける前に、霊的に新生してたら別だけれど

洗礼を受けたからって、ほとんど変わらないのよね。

 

信仰生活していく中で、時間かけて

自分の中にあるものと幾度も対峙して、

自我が、少しずつ壊されて行く。

 

自分さえ良ければ、、という気持ちが、あるのを、

何度も気づいては、ボキボキ。バキバキ。

荒療治が、、これね、ホント痛い、。苦笑。

 

この長い信仰生活の中での霊的気づきを与え、

霊的新生を助けてくれるのが聖霊なる神様です。

 

お父さんである神様、御子なるイエス様と違い。

居るのだか居ないのだか良くわからない

存在ですけど、、

 

自分の中の良いこと悪しきこと、

色々なことへ気づきを与えてくれて、

霊的成長、霊的新生に関与しますので、

在る事は確かです。

 

 

父なる神様と聖霊なる神様は、

1度も肉体を持ったことがない霊的存在です。

イエス様だけは、神様でありながら

人間としてお生まれになったので

人間としての感覚も、気持ちも深く理解できますね。

 

 

聖書で、みいつの神様が、

御三方同時に顕現されてる箇所。

 

イエス様が、

バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に、、

空から声で父なる神様が、イエス様に聞けと仰って、

鳩の御姿で、聖霊なる神様が、イエス様の元へ降って来られ、

地上にいたイエス様とで、

みいつの神様、、御三方勢揃い。

 

 

マグダラのマリア