阪神大震災を経験した。


当時、実家住まい。


西側に面した2階部分の部屋。


うっすら目が覚めていたのですが、


西の方から地鳴りが聞こえてきた。



あ、地鳴り。地震やな。



え?地鳴りが来る!!


地鳴りがデカい!!!やばい!!!


ズドドドドドドドドドドド、、、、、、


ブルドーザーで悪路を走破している様な感じ。


上半身は起き上がったが、壁と床に張り付くのが精一杯でした。













発生直後、直ぐに、家族の安否を確認し、ガス、水道、電気の確認。


水道がアウトだったので、即、ダッシュでコンビニへ走る。


10本ほど水を買い帰宅して、勤務先の西宮市へ車で出勤。


地面が割れて、火災があちこちで発生し、燃え続けている間をデリカスターワゴンが本領発揮w


乗用車が走行不可の段差を苦もなく乗り越えていった。


武庫川の堤防道路へ出た景色は、空襲で焼けた空を見上げる感じでしたね。


当時ナビは、世の中に出始めの頃でしたが、テレビに切り替えて走行した。


情報が入ってこない、、、


ヘリからの映像のみ。


勤務先に到着したのは、朝の8時過ぎ。


周囲は、、、、二階建て木造アパートが、全て一階建てに、、、


タバコで一服しようとしたら、ガスの匂いが、、、、汗


勤務先は、倉庫兼事務所でしたが、


商品がラックから落ちて散乱、、、、


今でもくっきり覚えています。




当時、社会党だった政府対応の遅さにはビックリ。


村山の爺さんでしたが、、、、w




自分の身は自分で守ること。


これに尽きます。


阪神大震災の時は、比較的近い伊丹空港からヘリが出たが、


テレビで映像が流れたのは、発生から2時間後。


そんな時代でしたね。




戦闘機が発進すれば、京阪神へ行く場合、


30分以内で小松基地か、各務原や旧名古屋から来れるでしょう。





阪神大震災もたいがい揺れを感じたが、、、、


エレベーターに乗ってる時に、、、


大阪北部地震を体験した時の方が怖かったw


だって、


エレベーターが止まったし、海抜2メートル。


停止した階は覚えていないけど、3〜4階ならギリギリのライン。




終わったな。と声に出た。




すると、、、


エレベーターのドアがゆっくり開いたのです!!




安全装置が作動して最寄階に到着するまでの時間はマジで長かったw


勤務先の事務所は書類が散乱し、パソコンと電話機が吹っ飛び、直ぐに接続し直して、、、、


それでも仕事をしていた自分が嫌になった件www





南海トラフが来るらしい!?けど、


地震の歴史を辿ると、、、、


内陸部の直下型が来てから、その後に、、、というパターン。


その先にくる内陸部が何処にくるかわからないしw





現居住地は、海抜20メートル。


前居住地は、海抜6メートル。


でもね、


マンションの12階の場合、電気が止まると水道も止まるw


ミネラルウォーターは常に6本以上はストックしているが、


過去に台風直撃の時は、停電の復旧に2日はかかった。


震災クラスの場合は、それ以上かかるだろう。


ポータブル電源。買っておこうかなw