ヘンリー・レアマン(Henry Lehrman, 1886年3月30日 - 1946年11月7日)はオーストリア=ハンガリー帝国出身のアメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家およびプロデューサー。
レアマンは2つの点で映画史にその名をとどめている。一つは、キーストン社(英語版)の映画監督として、のちの喜劇王チャールズ・チャップリンの初期作品の監督を務めたこと。もう一つは、「ファッティ」ロスコー・アーバックルの俳優人生に事実上のピリオドを打った強姦事件の証人としてである。[1]
生涯 [編集]前半生・キーストン社時代 [編集]ヘンリー・レアマンは1886年3月30日、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで生まれる。19歳のときにアメリカに移民として渡り[1]、路面電車の車掌をしていたが、映画監督D・W・グリフィスと面会の上で1909年にバイオグラフ社(英語版)から俳優としてデビューする。グリフィスと面会した際、レアマンは「自分はヨーロッパからやってきた者で、パテで映画監督をしていた」と売り込む[1]。もちろんこれは真っ赤な嘘で即座にグリフィスに嘘を見破られたものの、グリフィスは逆にレアマンを気に入って嘘に由来する「パテ」との愛称を与え、マック・セネットのもとに送り込んだ[1]。バイオグラフ社で1910年に喜劇部門の主任となったセネットは2年後の1912年夏にメーベル・ノーマンドやフレッド・メイスらを引き連れてキーストン社を設立し、ロサンゼルス近郊イーデンデール(英語版)にスタジオを建設して自前の映画作りを始めることとなった。レアマンもついて行き、間もなく「キーストン・コップス」が繰り広げる追いかけっこを主軸としたスラップスティック・コメディ映画が当たったことでセネットだけでは撮影ユニットが足りなくなり、1913年に入ってレアマンを主任とする第2撮影ユニットが作られることとなった[2]。
