高校に入って、

ジャズもロックも開花した日本(私)だが、

ロックは海外のロックと共に、

フラワートラベリンバンドに痺れた。

湘南の高校だったので、

知人のギタリストが知り合いだとか、

横浜ではっ@貰ったとか、どうとか・・・

とにかく、凄いよね。

ジョー山中のボーカルも、バンドのサウンドも。びっくり

フラワートラベリンバンド
元4.9.1(フォー・ナイン・エース)の
ジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、
元ザ・タックスマンの上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、
和田ジョージ(ドラムス)4人による体制で1970年2月に改名し再出発。
内田裕也はプロデュースを担当。(すごいんだな)w
 
大阪万国博覧会の出演中に知り合ったカナダのロックバンド、
ライトハウスに見出されメンバーはカナダへ渡る。
地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らはアメリカのアトランティック・レコードと契約し
4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本はワーナー・パイオニアから)。
同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナダのチャートに入る。
 
また、ライトハウス、ELP、ドクター・ジョンなどのミュージシャンと競演ライブも行った。
1973年1月に来日するローリング・ストーンズの前座を務める予定だったが、
来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう。
1973年2月、アルバム『Make Up』を発表。
同年4月、京都円山公園音楽堂で行われたコンサートを最後に解散する。
 
ボーカル、ジョー 山中(ジョー やまなか、1946年9月2日 - 2011年8月7日)
日本のミュージシャン・俳優・プロボクサー。
神奈川県横浜市出身。本名は山中 明(やまなか あきら)。
3オクターヴの声の持ち主。
ライブ活動を中心に、映画・テレビドラマへも出演するなど、
幅広い活動を行っていた。
プロボクサー時代のリングネームは城 アキラ。
7人兄弟の中で唯一の混血児として生まれる。
父親を「本当の父親は顔も名前も知らない。
日本に進駐していたアメリカ軍の兵隊だったらしい(中略)
おふくろは一時、黒人兵と暮らす。それでお腹に宿したのが俺だ」と記述、
ソロ・アルバムの『W's』の中村俊夫のライナーノーツでも父親を
「アフリカ系アメリカ人」としている。
小学生時代に母を亡くした上、自宅が火災で全焼。
結核で2年間入院した後、約16歳まで養護施設を転々として育つ。
中卒後、自動車の修理工場に勤務。
 
1975年 - 8月、内田裕也が主催した「第1回ワールド・ロック・フェスティバル」に、
フェリックス・パパラルディ(元マウンテン)のグループの一員として出演し、
トリではジェフ・ベックとのセッションも行った。
・高校二年生の時、同級生とつるんで行ったな。
この時はジェフベック目当てだったけど、
ベック、高熱があったんだよ。でも、すごい演奏だった。
当時は内田裕也、嫌いで、ジョー山中のこともよく覚えてないな。
 
2010年 - 2月に肺癌が見つかり、
3月25日、自らのホームページで治療中であることを公表。
2010年 - 9月6日 バーベキューの火の不始末から自宅全焼。
2011年3月に発生した東日本大震災の募金活動に参加、5月にはチャリティーライブ実施。
7月下旬に心肺停止状態に陥り、
8月7日午前6時56分に肺癌のため神奈川県横須賀市の病院で死去。64歳没。合掌。
・大船のライブハウス「ハニービー」の経営に関わってたとか、
鎌倉山あたりに住んでたとか聞いたけど確かではない。
確か、お孫さんが生まれて幸せにしているとも聞いたんだが・・・。
世界最高のロックシンガーだっだった。