幼稚園は一人でバスに乗って | 人生の苦難を乗り越えて幸せライフを実現する☆ヒーラープラスα☆雅子ブログ

人生の苦難を乗り越えて幸せライフを実現する☆ヒーラープラスα☆雅子ブログ

ヒーリング、占いなどの案内、及び日々日常の思いなどを綴ります。【東京・世田谷】このブログはアフィリエイト広告を利用しています。

こんにちは!

 

ヒーラープラスαの雅子です!

 

自分応援シリーズ第二弾

 

「雅子の私シリーズ」

今回は自分史ストーリーを手直し

しながら綴っております。

 

以前タスクに入れて載せておりました

物に手を加えてまいります。

(現在タスクは載せてありません)

よろしかったらお付き合いくださいませ。

 

前回は私の名前の由来について

お話しました。

 

 

■■■■■

私は雅子という名前があまり

好きではありませんでした。

 

名前が変えられるなら

小百合がいいなあと思って

いたのでした。

 

折角神様につけて頂いた名前なのに

罰当たりですね(笑)

■■■■■

 

で終わっていました。

 

前回のお話はこちらから

 

 

【3話】

新潟市は全国一位のお寺の多い町

古町という昔の繁華街の道路脇には

 

お隣さんのそのまたお隣さん

という感じでお寺が並んでいます。

 

(この写真は現在の様子です。

お墓がひしめき合ってるのがわかりますね。

お寺のような屋根の向こうにビル、その向こうにも

お墓とお寺の屋根が見えます。)

 

 

私が通っていた幼稚園もそんなお寺の

付属の幼稚園でした。

 

現在新潟の古町は昔ほどの賑わい

は亡くなり新潟駅周辺の方が

栄えているようです。

 

名前の表す通り今や古い町

古町となってしまったようです。

 

それでもお寺やお墓はそのまま

受け継がれてるんですね。

 

 

さてお話にもどります。

 

今は遠くから通う園児には幼稚園バス

が当たり前のようになってますね。

 

でも、私の頃はバスといっても

路線バス、しかも年長さんに

なってからはひとりでバスに乗って

通っていたのですよ。

 

 

昔はパスには女性の車掌さんがいて

切符を切ってくれるんです。

 

切符を切る

 

と言ってもよくわからないかな?

 

今はSUICAとかPASMOで、ボンと

押すだけですが、

 

当時はパチンと切符に穴をあけて

一回乗ったことになるのです。

 

 

駅の改札口に車掌さんが立って

いて手には穴を開けるハサミ

 

改札鋏を持ってたのはどれくらい

前のことだったでしょう。

 

子供の頃には切符とこの改札鋏の

おもちゃがあったのですが、

いまは見当たらないですね。

 

昭和30年代の頃の話しです。

 

バスの車掌さんは、当時は今のCA

のように憧れの仕事でした。

 

毎日乗る訳ですから車掌さんとは

いつしか顔なじみになっていきました

 

色白の綺麗な優しい車掌さんがいて

その車掌さんのバスに乗れた時は

嬉しかったことを覚えています。

 

家に帰って近所の友達とバスごっこを

して遊ぶ時は私はいつもその車掌さん

になったつもりで切符を切る真似を

していたものでした。

 

まだ幼い子が一人でバスに乗って

通うって、慣れるまでは大変ですよね。

 

私もとんでもないバスに乗ってしまい

母をかなり心配させてしまったこと

があったそうです。

 

私は全然覚えていませんが(笑)

 

母は多くは語りませんが

 

「違うバスに乗って飛んでもないとこ

に行ってしもて(しまって)…」

 

と語ってくれました。

母ももうその頃の事は覚えてなくて

もう詳しく聞くことはできません。

 

何しろ60年以上前のことですしね。

 

 

~続く~

 

次回【4話】はこちらから