こんにちは!
老人magome7です。
ご訪問戴き有難うございます。
今日は、C型肝炎以外の病歴ついて、書き留めてみたいと思います。
これは私の病歴です。
15歳の盲腸手術を皮切りにして、
55歳の人間ドックでC型肝炎を診断されるまでの間に、
41歳で脂肪肝の診断を受けています。
その間、
23歳の時に受けた開腹手術で輸血を2000㏄受けています。
55歳ごろから、3年に一回程度のペースで、大腸内視鏡検査を受けていますが、
この病歴には記入しておりません。
この病歴の中に、大腸の絵が描かれていますが、
これは大腸内視鏡検査で内視鏡が途中から挿入できないことから、
バリュウムを飲んで、大腸の状況を調べたときに、
先生に書いて戴いたものを写したものです。
下の絵は、無料のイラストをダウンロードし、
どの部分と、どの部分が癒着しているかを付け加えたものです。
開腹手術前にも癒着していたのを、癒着を剥がして収めて下さったようですが、
その後再び、大腸同士が癒着してしまったという状況になっているそうです。
一度癒着すると、剥がしてもまた癒着するようです。
従って、内視鏡が途中から挿入できず、
通常ですと、20分程度で済む内視鏡検査が50分から60分、
苦しんで、ようやく入れば良いほうで、
内視鏡が入らないことがありました。
最近は、いろんな内視鏡が出来ているらしく、
サイズの細いのを使ってもらっています。
中学3年生時の高校入試直前のの盲腸の手術の結果は、
結果的に大腸の癒着を起こし、C型ウィルスの感染という
私にとっては、悔やみきれないものになったものです。
入試を受けるために、
完全治癒の前に退院したことが、病の原点だったということでしょう。
その結果として、自分の身体の調整のために、
自分で自分を管理する自己管理が必要になったと思っています。
と言ったところから、脂肪肝との診断以降、検査データを、
ファイリングすることになり、
今では5センチファイル2冊になってしまいました。
54歳の時、ギックリ腰を起こし、治療を始めましたが、
67歳に、脊柱管狭窄症で内視鏡によって、手術を受けており、
75歳で腰痛を再発、以後週2~3回通院加療を続けている状況です。
長いこと、こんな手法で自己管理できた裏には、
家族の協力があったればこそできたことであって、
感謝してもしきれないところです。
血液検査のデータは、こんなデータベースを作り、
症状の変化と血液検査データの変化に気を配ってきました。
当然のことながら、
血液検査のデータの各項目が、症状にどう関係しているのかを知る必要があり、
血液検査項目毎の症状を一覧表にしておき、
意識的に調整するようにしてきました。
次の表は、血液検査項目と、その項目が何を表すかを記録したものです。
こんな苦労をして、自己管理して、どんな結果を期待しているかという疑問が
起こると思います。
実は、私は20年前に肝硬変との診断を受け、
あと3年も生きていられるかどうか分からない状況ですよ、
との医師の診断だったんです。
家族を泣かせ、自分でもかなりショックでした。
肝硬変の診断で、酒は一切止めました。
脂肪肝と言われても、断酒することはせず、深酒は元々やらなかったので、
それまで通り過ごしていました。
肝硬変の宣言された時は、
まだ定年を過ぎて、3年間の再雇用で現場代理人として現場に出て、
契約金額現場代理人としていました。
でも、身体は正直ですね。
現場事務所で勤務中に、疲労感にたまらず、奥の和室で横になることがありました。
30分ほど横になると、また事務所に出て勤務することが、何度か続きました。
再雇用後、第一期工事が終了したところで、退職。
現場代理人を引き継ぎました。
現場で一緒に働いていた人たちには、酒抜きの送別会・食事会で送って戴きました。
でもこうして20年、肝硬変になってから、まだ生き延びています。
先の医師の診断が甘かったのかどうか、
今でも、前回検査と症状は変わらず、肝硬変と言われます。
そんなことを毎年の診察時MRI検査・超音波検査等々の検査で、
前回と変わらずと言われます。
ごく最近のMRI検査時には、うれしい情報を聞きました。
MRI検査をされているときに、担当の先生が助手の方と話をしているのを
聞いていたら、
「肝硬変でもウィルスがなくなったら、治るんだよ」と
教わりました。
私にとって、ものすごい朗報です。
治っても、もう年齢的には無理できる年ではないけれど、
肝硬変で死亡なんてないかも知れないといえるからです。
病気が一つ減ったということなんです。
目的が出来ました。意欲が出てきました。
現役時代は、ほとんどアナログ時代で、
デジタル時代はほんの5年間だけでした。
その5年間は、当時のデジタル技術でも最先端の、
インターネットを各社のシステム構築に取り入れ始めていた時代です。
アナログ業務を、デジタルに変えるシステム作りを担当していました。
私の年代では、こういった経験は貴重ではないか。
デジタルと言えども、基本が変わるわけではなく、
「ツールがデジタル化されることで、出来なかったことも出来るようになる」
ということだと考えるからです。
勿論、Windows95が出来て、デジタル時代に突入とすれば、
もう25年も経っています。
もう私が考えるようなシステムは、出来ているかもしれませんが、
夢をもう一度見てみたいと・・・・。
他人の病状なんて、なんの興味も沸かないかと思いますが、
C型ウィルスと戦うには、
こんな方法で自己管理してきたということを理解して戴けたらと思っています。
老人のたわ言でした。
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