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全員に公開を、誤ってアメンバー限定公開になっていましたので、全員公開に変更しました。

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ボーリングを通して、体力の温存を図り、体力をつけ、C型肝炎と闘ってきました。

プロボーラーでも、インストラクターでもありませんが、自己流ながら、自分のボーリング投法というものを考え、50年になります。

考えてみると、C型肝炎に感染して6年後に、ボーリングを知り、夢中になってゲームに取り組んだようで、C型ウィルスに身体を蝕まれながら、健康に過ごすための体力温存を、ボーリングと共に過ごしてきたようです。

ボーリングが盛況だった昭和

ボーリングを始めたのは、ボーリングは華やかだったピークを越えた時期でした。岐阜にある某ボーリング場に、現場の仲間で連れて行かれたものでした。始めは、ボールの握り方・持ち方も知りませんでした。


ボールを持って、投げてみました。むろんガーターです。1ゲームは67点でした。ボールに入れる指も違っていて、仲間に教わりました。親指と人差し指と中指をを入れて投げていました。親指と中指と薬指を入れて投げるものだと聞いて、次のゲームは、100点を超えていたと思います。


それから、ボーリング好きになり、もう50年を超えました。いつの頃からでしょうか、動ける内はこれを趣味にしようと、長く投げられるようなフォームを覚えました。芋もその投げ方で投球しています。


今は、毎週1回ボーリング場に行き、4ゲームのトーナメントゲームをしています。トーナメントと言っても、勝負しているのではなく、自己のアベレージ維持のゲームです。


40歳までは、早朝ボーリングで汗を流し、それから仕事に出掛けていました。50歳では、毎日のように勤めの帰りにボーリング場へ直行、トーナメント戦・リーグ戦に精を出していました。試合のないときは、練習で10ゲーム程度投げていました。

 

60歳代になって、ゲーム数が減りましたが、週3日程度になっていたと思います。

その頃、300人位の出場者が出る、トーナメントに出場し、6ゲームの予選で、トータル1350ピン、2位を100ピン以上離しての決勝戦に臨みました。その決勝戦というのが、1ゲームごとにレーンを移動し、15ゲームの長丁場でした。トップと2位が40レーンの両脇をスタートし、2ゲーム目には30レーン位移動する方式で、1ゲーム毎のレーン移動は、投球以上に重労働でした。途中で棄権したいと思ったほど、疲れ切ってしまいました。その時、はじめて年を取ったんだと感じました。病状の問題もあったんでしょうが、投げ込むほどに、力が落ち込み、結局4位まで落ち込みました。朝9時から、夜9時まで掛かって、1日15ゲームの試合には体力が重要なんだと。

 

その後からそういった公認ゲームには出場をしないことにしました。楽しむボーリングを続けることにしたものです。

それからでも15年になります。今は生涯アベレージを170ピンで過ごしたいと思っています。

 

次回は、ボーリングを長い間楽しむための心がけていることをまとめてみます。

 

次回は、楽しむボーリングをするために、書いてみます。

 

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