水俣病の教訓 | 御船のたぬきのブログ

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全国ではどうか知らないが、熊本ではよく「水俣病の教訓」という言葉を聞きます。
「痛ましい公害の意劇を繰り返してはならない」 この思いを共有しようという事ですが、今日では狭い意味での公害から、より広い環境問題を考える時にも、原点を忘れないようにしようという意味で使われるようです。

実際、水俣市は、忌まわしい病名の町として知られてしまいましたが、今では先進的に環境問題に取り組む都市として生まれ変わってきています。

ただ、原発問題や、長崎県の態度をみていると、教訓は活かされるどころか、同じ失敗が何度でも繰り返されようとしているかに見えます。

そうであるならば、日本の環境行政が、ドイツのようにメリハリが効いたものにならない、何か普遍的なものがあると考えるべきではないでしょうか?

役人、公務員バッシングは簡単ですが、それだけではどこまでも同じ事の繰り返しでもあります。

この間、農水省と弁護団・漁民の交渉に同席して目の当たりにした農水官僚は、極悪人にも見えれば、普通の庶民のようにも見えました。ただ、無表情で、自分の言葉でしゃべってないという点は皆共通していました。

中堅クラスの役人は実に多く語るのですが、言質をとられない事にばかり気を遣っているせいか、あまりにも説明が回りくどくて、わかりづらい。これは大臣の答弁なども同様です。おそらく、上級の公務員試験に合格している人たちですから、試験でこんな回りくどい回答をしてきたはずはありません。

ただ、官僚機構の中で育っているうちに、そのようになってしまうか、若しくは、自分の言葉でわかりやすい発言をする人は出世できない仕組みがあるのかもしれません。

ここで、先日亡くなられた原田正純先生がTVで言っておられた事を思い出しました。

(以下、記憶によるので不正確であればご容赦ください)

「水俣病は、複雑な問題として認識されているかもしれませんが、元々は単なる食中毒でした」

食べたもので病気になったのだから、確かにそうだ。

「町の仕出し屋さんの弁当を食べた人が、何十人か腹痛になったら、保健所がすぐ営業を止めるでしょう。しかし、この時点では、原因が100%弁当にあるかどうか、あったとしても、それが弁当の具の何か、さらにはどういう菌によるものか、全くわかっていないはずです。それでも止めるし、仕出し屋さんも文句を言わないのではないでしょうか。しかし、水俣病の場合は、疑われたのは町の仕出し屋ではなく、大きな力をもった企業だったわけです。市民も多く勤めている。だから行政は言えなかった。町の仕出し屋さんに対するのと同じ事をしていれば、水俣病はここまで拡大することはなかったのです」

要するに、行政は論理ではなく、強い風の方を向いたという事です。
そして、その点が変わらなければ、今も昔も同じという事です。

私たちが税を払って自治体や国を支えるのは、一つには個々人では強い風に立ち向かえないからでもあります。しかし、そうやって支えている地方や国の行政が強い風に吹かれてしまう。これが、今も基本的に変わっていない点です。役場の窓口で、生活保護申請に来た社会的弱者に居丈高になったり、逆に、ヤクザに生活保護を渡してしまったり。

問題は構造的ではあっても、複雑ではないかもしれません。

あの、珍騒動をしている長崎県や、冷たい表情で並んでいた農水官僚の人たち、公務員になった原点はどうだったのでしょうか?

若いときからただ安定した職業だからと就いた人もいるかもしれません。
それでも、ひたすら金儲けがしたかったなら、他の商売があったでしょう。

もし、公務員を志した時に、少しでも社会に貢献したい、社会を良くしたいという志があったなら、その原点を思い出してほしいものです。

今のところ、工程表も示さず、概算請求もせず、極めて疑わしい動きしか見せない農水官僚。

それでも最後には最低限の事はちゃんとやってくれるはずだ・・・と、期待しつつ、2013年12月に確定された開門に向けて、注視してゆきたいと思います。