詩「本当のやさしさ

 

自分にしか興味がなかった 父

それに刃向かうように

他者に目を奪われ 

無暗に自分を傷付けて来た 自分

そのどちらが

人としてやさしい姿なんでしょう

真のやさしさって なんでしょう

 

 

他者の根を思い遣るばかりで

自分の根に 

水も栄養も与えなかったら

結局その根は 育つ前に

しおれてしまうでしょう

 

外敵の攻撃をかわしたり 

防御することも

生きて行く上では重要なこと

人は 

他者を守ろうとする前に

自分を守る術を

知らなくてはなりません

 

 

 

一方で

私の父のように

自分を守るだけではなく

退屈しのぎに他者を攻撃したり

その栄養分まで吸い取って生きることは

結局 根腐りを起こし始め

人としての成長も 阻害されるでしょう

 

 

 

もちろん 他者も人間だけど

自分も 人間

自分も他者も 社会の中で生きている

競争しつつも 共存している

 

 

だから

その一

自分という人間を守る力を身に着けつつ

その二

他者という人間への配慮も忘れない

 

そういった意識こそ

真のやさしさを育んでいく

そして それが本当の意味で

人間を大切にするということでしょう

そして

そういう生き方にこそ

人間の成長というものも

あるのだと思います

 

 

私は幼い頃から優しい人間になりたいと思っていました。

それはつまり、他人にやさしく出来る人。

他人を思い遣れる人。

そうすることで、

敵を作ることなく、誰とでも上手く付き合いたいと思っていたのです。

 

でも、人に優しくあろうとすればするほど上手く行かない。

 

こちらは悪意がなく優しくしているつもりなのに、

敵意をむき出しにする人間もたくさんいました。

こちらが友好的であろうとしているのに、

どうしてそういう態度に出るのか?

長い間疑問と共に、その時の不愉快な気分を引きずりました。

正直、頭の中で何度その者達を殴り飛ばしたかしれません。

 

 

父は私から見ても、本当に快楽主義者で、

自分の鬱憤を平気で他人にぶつけられる人でした。

自分の中にある苛立ちを

自分から争いの種を作ってうっ憤晴らしに

喧嘩を仕掛けるような小狡い人でした。

そんな父が私は好きではなかった。

 

父との確執は激しかった。

それは生き方の確執でした。

その果てに気付いたのです。

 

真のやさしさとは

エゴと利他を調和させられることではないかと。

 

人に優しくあるということは

自分にも他人にも優しくあるということです。

どちらが欠けても、心からの優しさを持つことは出来ません。

他人のために自分を犠牲にすれば

必ず自分の心を傷付けます。

自分を守る術を知らなければ、

ハナから敵意やエゴを持って接して来る

他者に甘んじて傷付けられることになり、自分自身は

相手への憎悪を募らせることになる。

そんな自分に苦しみ、憎悪を否定しようとすると

下手をすれば心を病みます。

 

だから、本当の意味で人に優しくなるためには

まずは自分自身を守る術を身に着けなくてはなりません。

防御に長けた人間こそ

真の意味で他人にも優しくなり得るのだと

数十年を経て思うようになりました。

 

ですから、まずは自分を守る力を身に着けましょう。

誤解を恐れずに言えば

他人のことは二の次で良いと思います。

自分を守る強さがなくては

真の意味で他者に優しくなることも出来ないのです。