保険を作るうえで書物を読むという話を書きましたが、その本は「不登校」や「いじめ」といったものに限りません。
学校という仕組みについても確認しました。
学校という制度ができたのは明治時代からで、殖産興業という日本国の発展のために、それまで親に一任されていた教育を親の義務とし今日まで至っています。
言うなれば、工業製品を効率よく作るための制度であったということかもしれません。
ちなみに江戸時代までは親が学習させていました。
寺子屋は学校の延長線上にはなく、親が生きていくうえで文字や算数が必要だと思い、自分の子を通わせていたということだろうと思われます。
つまり、今の学校制度とは大きく異なります。
これらについては、磯田道史氏の』武士の家計簿「加賀藩御算者」の幕末維新』などの本でも見て取れます。
江戸時代では家で教育していたのが,学校制が突如始まるのですから反対する親がいたり、経済的に行かせられなかったり等があるようで、家での教育もある程度は認められています。
なお、戦前においても、少数ながら不登校はいたようです。
子供も人手として家業に関わる時代ですので、少し様相が異なります。
そのように整理すると戦後に大きく教育制度が変わり、それが現在に至っていると考えるべきかもしれません。
戦後の仕組みは、時代に合致して機能したのだろうと推察します。
しかしながら、1990年代から叫ばれるようになったグローバル化が進み、世界の潮流に日本の仕組みが合わせられなくなったように見受けられます。
それにコロナ禍を迎え、デジタル化が進んだことによりオフサイトの授業が行われ、日本の学校制度の意味が失われ子供が増え不登校が加速しているのかもしれません。
日本の教育制度と不登校は、完全に否定できるものではないようです。