<一章・・1話・・・多田夢介>
男の頭には絶望が渦巻いていた。
「生きると言うことは辛いことの連続だ」
頭の中のもう一人がそうつぶやき続けている。
何のために生まれい出たのか?
生き恥をさらすためか?
生きる意味を持たない自分が何故のうのうと息をしているのだ。
ただ死ぬ事が恐ろしいから、生きているのではないのか?
問い続けても答えが出るはずのない問いが、ただ脳内を巡回している。
男の名は多田夢介(ただむかい)元は大国の家老の家に生まれ、なんの不自由も無く暮らしていたこの男。今は国を遠く離れ、世を捨て、墜ちた果て闇にかくれ息を潜め生存している。
夢介の日常は小さな橋を獣のような眼差しで見すえる。それが生きる糧なのだ。
「来た・・・」
夢介は自らに確認をすると、ゆっくりと川側といは逆に身を傾けた。
この橋は色町や飲み屋などが集まる繁華街から数件の宿屋につながる橋の一つで、人目も少ない、夢介の仕事にはもってこいの場所であった。
これが夢介の生命を繋ぐ手段、それは辻切りである。
金を奪うか、金も命も奪うか、二者の中で生きざる終えなかった・・・それが夢介という男なのである。
夢介は、その人間が放つ気で銭を持っているか否かが詠めるようになっていた。
今橋を渡ってくる武士はそこそこの収入を夢介に与えてくれそうであった。
しかしやっかいなのは剣術に自信のある奴だ。
そう夢介は思っていた。
剣を抜き向かって来られたのでは命を奪うしか無くなってしまう。
「殺すのは返り血で生臭くなるのでかなわん・・・」
しかし、刀もささない町人に刃を向け銭を巻き上げたときほど後味が悪い瞬間はない。
ならば、武士を狙う方がよい。
橋を渡る武士の足取りは、酔ってはいるがしっかりとしている。
白い足袋は旅塵をまとっておらず、旅籠で借りたものであろう下駄も真新しく、この街に来て日が浅い物のように感じられた。
その歩き方身のこなしから上級武士であろう。
「これはまずいか・・・」
上級武士は自意識が高く、黙って財布を置いてゆく者はいない。
下駄の足音が木橋と響き、土の音に変わり、ザッザッザッと乾いた音をさせた。
すり足ぎみでやや外股に歩く姿は剣術の達者な者のそれである。
「殺すにはもったいない男だ」
夢介の脳には自分が斬られるという発想はない。
それは過信や自惚れ、ましてや剣術の腕に対しての絶対的自信ではない。
「剣を交えれば相手は死ぬものだ」と細胞の一つ一つにまで染み込んだ呼吸なのである。
ザッザッザッ。
武士の足音が自分の間合いに入ったその瞬間、夢介は音もなく武士の眼前に現れた。
意志とは別の何かが、夢介の体を前進させて
いた。
草陰から立ち上がった夢介は山のように大きい。
身長百九十センチはあろうかと言う夢介はまるで武士の眼前に突如として現れた壁であった。
「何ヤツ」
武士はあまりにも大きい壁男に怯みつつも吠えた。
「金を出せ・・・従えば命は取らん・・・」
何十回、何百回言ったかわからないこの台詞。
これを発する時ほど胸くそ悪くなる時はない。
「何を貴様!」
武士はサッっと半歩ほど身を引いて刀に手をかけた。
「やめろ!殺してしまう!」
夢介は喉の奥で叫ぶが、それは言葉として発せられず、押し出した強い息づかいと変わっていた。
「貴様!わしを誰かと知ってのことか!」
「知るか!」
自分にだけ聞こえるほどの声で叫ぶと、夢介は思った。
「知ったところでどうなる。死人に情が沸くだけだ・・・」
「豊田家三番家老」
その後武士は長々と我が役職と名を語ったようであるが、夢介の耳には届いていない。
夢介にとってはそんなモノを聞いたところで何の足しにもならないのだ。
素直に金を置いてゆくか、命を奪って金を懐から取り上げるか、その二つだけがこれから夢介が行う行動の全てなのだ。
それに「三番家老」などという役職は聞いた事もない。
その豊田という家はよっぽど序列に厳しいのか、細かく役職を区切る事で統制を計っているのか・・・そんな思いがほんの一瞬よぎった。
が、その思いは夢介の脳裏に定着する物ではなく、右足をジリジリとやや斜め前へ押し出し、左足をそれに合わせるように引き出していた。
「うぬっ!」
武士は剣をゆっくり引き抜くと又半歩後退したが、左斜め後ろの背に土塀があることを察し、飛ぶように川側へ身を翻した。
そこで夢介はゆっくりと刀を引き抜き、切っ先を武士に向け、そこからやや上向きにさせた。
その姿は大きな獣であった。
腕の長さ、身長差を考えると武士はこの大男の懐に入り込むか、間合いを開いて手首を狙うしかない。
武士は身のこなしには自信があったが、この壁男の懐に入り込める気がしなかった。
一方夢介もこの状況に攻めあぐんでいた。
<そんなことをしていてはいけない>
夢介の耳の中に確かな声が響いた。
「なにぃ」