さーちゃんが亡くなる数週間前に「毎日来てほしい。」と甘えていた理学療法士のAさんは、さーちゃんの担当になってから数ヶ月後に入籍された。
入籍の事を聞いた頃は親しくなっていたから、結婚式👰♀️🤵♂️の予定などが話題になっていた。
さーちゃん「結婚式はするんですか?」
Aさん「来年に式をする予定です。」
さーちゃん「結婚式の写真見せてくださいね。」
さーちゃんはAさんの花嫁姿を楽しみにしていた👰🤵♂️
その頃は、さーちゃんが奇跡的な回復力で少しずつ元気に出かけられるようになっていた時期だったけど・・・
Aさんの結婚式まで生きている事が出来なかったさーちゃんに頼まれていた事があった。
「結婚祝いを差し上げたいけど、形に残る物は気を使わせてしまうから、ママが作ったお菓子をAさんにプレゼントしてほしい」
私は高校生の頃からお菓子作りが趣味だった。
自宅を新築した時に【菓子製造業許可】のキッチンスペースを作った。
知り合いを招いてスィーツパーティーをしたり、頼まれて焼いたり、娘の美容院に差し入れたり、
そんな奇跡が起きると信じていたのに・・・
叶わなかった・・・
さーちゃんが亡くなってから数ヶ月後に訪問看護ステーションは移築していた。
バスで前を通る度にAさんの車を探していた。
訪問看護師Kさんが退職してから、Aさんの夢(Aさんの夢、さーちゃんが「Aさん、私復活しました!」とAさんに会いに来た夢」)の話しを時々思い出していた。
「会いに行かなきゃ。さーちゃんから頼まれていたプレゼント渡しに行かなきゃ。」そう思いながら、なかなか看護ステーションを訪ねる勇気が出なかった。
一年も前に亡くなった利用者からのプレゼントを持って遺族(利用者家族)が会いに行く事は迷惑になるのではないか?
私は友人達に相談した。
「ずっと気にしてるなら会いに行ってくれば。」
「きっと喜んでくれるよ。大きくなったボクの写真も見せて来たら。」
そう言って、さーちゃんと生まれて10日ぐらいのボクの写真と最近のボクの写真をポストカードにしてくれた。
「そうだね、今行かなきゃ・・・Kさんみたいに退職していたら2度会えなくなるね。」
勇気を出して会いに行く事にした。
私からの手紙と、さーちゃんからのプレゼントと写真を持って勇気を出して看護ステーションに行くと、出迎えてくださったのはさーちゃんの最期の日にKさんと一緒に担当してくださったSさんだった。
最期の日、さーちゃんがお世話になり、亡くなる1時間前に酸素吸収のカニューレを外してしまったさーちゃんの対応に困っていた私からの電話に出てくださったSさん。
何とかして酸素吸収をさせたくて冷静になれなかった私に、「お母さん、さーちゃんの好きにさせてあげてください。後は見守ってください。」
そうアドバイスをしていただき、さーちゃんの意志を尊重する事が出来た。
親子でお世話になった看護師さんSさん。
亡くなるまでの経緯を全部知っているSさんと言葉を交わすと、私もSさんも当時にタイムスリップしたような気になり涙が出て暫く話せなかった。
さーちゃんが亡くなって一年半が過ぎていても、あの時の悲しみが蘇ってしまう。
あいにくAさんは早く帰られた日だった。
手紙とプレゼントは渡していただけるとの事で、預かってくださった。
翌日、Aさんが電話をくださった。
Aさんの声を聞くのは一年四カ月ぶりだった。
変わらない優しい声を聞くと涙が出てきて言葉に詰まってしまった。
さーちゃんの話しをする電話口のAさんも泣いていた。
「お母さん。プレゼントたくさんありがとうございました。さーちゃんとボクの写真も見せてもらえて嬉しかったです。ボク大きくなりましたね。」と喜んでくださった。
SさんもAさんも「さーちゃんの事は昨日の事のように覚えています。ずっと忘れません。」と言ってくださった。
35歳で亡くなったさーちゃん・・・その事は悲しいけれど、優しい方達にお世話になって、さーちゃんは恵まれていたね。
さーちゃん、貴女に頼まれていたAさんの結婚祝いやっと渡しに行けたよ。
さーちゃんも大好きだったシフォンケーキやマドレーヌやクッキーを、さくら🌸柄の袋でラッピングしたよ。
遅くなってごめんね。