納棺した日の夕方、私の友人の訪問があった。

共通の友人から娘の闘病の事は聞いて知っていたそうです。
訃報を聞いて会いに来てくださった。

引越しをして遠くなり、会うのは数年ぶりだった。

友人とは家が近かった事もあり、お互いの家で子ども達をよく遊ばせたりもしていた。

一緒にご飯を作って子ども達7人と食べた頃が懐かしい。


娘の小学生〜高校生までを知っている友人とは、懐かしい昔話に花が咲いた。



小学生の頃からご近所の方々に「チーママさーちゃん」と呼ばれるほど、しっかり者だった娘。

出来すぎるほどの良い子を演じて、無理をしているのではないか?と心配になるくらいだった。

近所に子ども達も慕っていた優しいお婆ちゃんがいらした。

友人も👵と親しかった。


会うたびに子ども達に親切にしてくださり、時々は子ども達だけで遊びに行くほど懐いていた。

ある時、そのお婆ちゃんから言われた言葉
👵「さーちゃんママ。
さーちゃんはいつもお家のお手伝いや弟妹達のお世話をしてえらいね。

でも、きっとママにたくさん甘えたいと思うのよ。
たまにはさーちゃんとママの2人だけの時間も作ったら喜ぶんじゃないかしら。」

当時4人の子育て中で今でいうワンオペだったから、さーちゃんと2人で出かけるなんて考えた事も無かった。

主人が休みの週末には家族全員で出かける事はあっても、下の子3人を主人に預ける事は無理だと思っていた。

お婆ちゃんは我が家の状況はご存知の上での提案だった。

👵「チビちゃん達の事なら心配しないで、私の家で👴と一緒に見ていてあげるからね。
たまにはさーちゃんにママと2人きりの時間を作ってあげてね。」

最初は遠慮したが、言われてみれば長女として毎日がんばっている娘のために必要な時間だと思い、お言葉に甘える事にした。


私は娘に
🙍‍♀️「ママと2人だけでお出かけしようか?
どこか行きたいところある?」
と聞いてみた。

最初はびっくりしていたが
🙍‍♀️「下の子達は👵の家で遊んでいるから大丈夫」と言うと、

👧「本当に良いの?やったー❣️」と大喜びしていた。

👧「四季の森公園でママと絵を描きたい🖼❗️」

娘のリクエストは意外だったけど、古いスケッチブックを引っ張り出して準備をした。

さーちゃんが小学一年生の10月、初めて母娘で出かけた。

弟妹達に邪魔されず、さーちゃんとだけの時間は写生をして楽しんだ。

友人とそんな昔話をしていたら、娘が結婚パーティーで読んでくれた手紙を思い出し、友人に見せた。


  〜大好きな家族のみんなへ〜
今日まで私をずっと支えてくれてありがとう。
こうして多くの方々に見守られながら今日という日を向かえられたこと本当に嬉しく思います。
パパとママには「お姉ちゃんだから我慢しなさい。」とは一度も言われることなく、○人平等に育ててくれて感謝しています。

パパは口数が少ないけど、子どもの目線になって沢山遊んでくれたよね。
酔っ払うといつもプロレス技をかけられたけど独特の愛情表現だったんだよね。ありがとう。

ママはいつも手作りのおやつを用意してくれて、子ども達一人一人とお出掛けをする時間を作ってくれてたね。
毎回自分の順番が回ってくるのを楽しみにしてたよ。

大家族の中で育ち、学生時代は部活と家の手伝いの両立は大変だと思ったこともあったけど、あの時があったから一人暮らしを始めた時は何一つ不自由なく自立することができたよ。
とても感謝しています。

長女だからしっかりしないと、という思いもあり○○や△△や□□から見たら学生の時はきっと恐いお姉ちゃんだったかもしれないね。
あの時はうまく言葉で伝えることができなかったけど、今は恐くないので安心して頼ってね。
皆んな自慢の弟妹だよ。

これからは私自身も親になります。
今まで私が受けてきた愛情に負けないくらい、ケイ君と一緒に産まれてくる子どもに愛情を注ぎたいと思います。

ケイ君のお父さんお母さん、私を家族の一員として温かく迎えてくださり、ありがとうございます。
遊びに行くたびに優しくして下さりご飯もいつも楽しみです。
何かと至らない所もあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。

  
改めて友人と読んで、泣けて泣けて仕方がなかった。