★2023.01.14 (土)
🍓狩りから帰宅
明太子パスタを🍝食べた。

午後からお友達がお見舞いに来てくださる事になっていたから、昨日のうちに介護ベットを移動しておいた。

主人のベットと並行に設置してあった介護ベットをリビングの真ん中に移した。

さーちゃんのお見舞い客はなるべくグループで来ていただくようにお願いしてあったから、ベットの両側に椅子を置いてベットを囲めるようにしたかった。

今まで以上にさーちゃんの看病中心の生活になる事は家族皆んな覚悟していた。

・14時〜15時40分
中学の部活仲間6人が来てくださった。
前日に連絡して直ぐにお見舞いに来てくださる友人達に娘はとても喜んでいた。

本当に楽しそうだった。
35歳の女子会が始まった。

皆んなでさーちゃんを囲んで記念撮影をしていた。
さーちゃんは中学の部活仲間には「さっちん」と呼ばれていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。

・16時30分
美容師仲間がお見舞いにいらした。
お一人だったのと、さーちゃんが少し疲れて来たので数十分で帰られた。

・18時20分
👩「ベットだと眠れない」とダイニングテーブルに移動した。

さーちゃんのベットは62°の角度にしてあった。
私以外の家族でも操作出来るように、予めベットの角度を決めていた。

微調整はクッションやタオルを使っていた。

👩「胸がゾワゾワ、ムズムズする」
  「ズボンにゆとりがほしい」
ゆったり目のズボンに履き替える。

この日は帰宅後も酸素は3ℓで酸素飽和度99をキープしていた。

・21時30分
ボクを迎えにケイ君のご両親がいらした。

12日にM医師から宣告を受けてから、ボク👦の事を両家でずっと相談していた。
さーちゃんも自分の体調悪化で私を必要とする時に、ボクの世話をする人がいない事を気にしていた。

もちろん他の家族がいる日は大丈夫だけど、ボクを行ったり来たりさせる事は出来なかったので、しばらくの間はケイ君のご両親に預ける事にしたのだ。

ケイ君が休みの前日にはボクを連れて泊まりに来るので、3日に一度はボクと過ごせるから娘も納得してくれた。


ボク👦も赤ちゃんの頃からケイ君の実家と我が家を行ったり来たりの生活だったから、どちらの家のジィジ、バァバにもなれていて、泣くことなくママとバイバイしていた。



主人がボク👦を見送りに行った時に、看護師さんから渡されていた【看取りの心得】の書類をケイ君のお父さんに渡した。

その時のやりとりを後から主人から聞いた。

👨「ケイ君はM医師から宣告されたさーちゃんの今の状態をご両親に伝えていなかったよ。
だから、ここまで悪いとは思っていなかったみたい。
とりあえず書類は渡しておいた。」

ケイ君はさーちゃんが余命宣告されても一度も受け入れなかった。
いつも医師の予想に反して回復していたから・・・

ケイ君の気持ちも痛いほど分かる・・・

主人も私もケイ君をそっとしておいた。


待望の我が子が産まれるまで順風満帆な結婚生活を送っていたのに、出産後コロナで産院には入れず、1週間ぶりに会った妻は原因不明の脚腰の痛みでちゃんと歩けず、息子の世話も出来ない身体になっていた。

まだ最初の結婚記念日も迎えていない新婚さんなのに。


病院にかかっても一向に治らない妻の身体を心配して、2ヶ月間時短勤務を申請して妻と息子の世話をしていた。


さらに悪化する痛み、やっと全身検査をしてもらえたと思ったら、末期の肺癌と診断された。

最初に医師から余命3ヶ月と聞かされたのはケイ君だった。


数ヶ月の小康状態があっただけに、まだまだ諦めたくなかっただろう。


親の立場の悲しみとは違う、別のベクトルの悲しみがケイ君にはあったと思う・・・



ボク👦がいないと大人だけの家は急に静かになった。