★2023.01.10 (火)
・7時20分
ボク👦にパルスオキシメータを壊されていた。
さーちゃんの必需品!
直ぐにネットから注文する。

・7時40分
娘はまだウトウトしていた、眠れる時は寝かせてやりたかったのでそっと側に行き様子を見ていた。
足に少し浮腫が出ていた。
アルブミンの不足なのか?
腎臓が弱っているのか?
不安になった。

・8時
娘が起床、腰お尻が痛むのでアロマの痛み緩和クリームを塗る。

・朝食
イチゴヨーグルト
やっぱり好きな物は食が進む。

👩「ママ、歩けない・・・」
トイレに歩いて行けないので、おんぶして連れて行く。
すっかり軽くなってしまった娘の体温を背中に感じながら、切なくなってしまった。

一年前にO病院で放射線治療をしていただいたお陰で、骨の痛みは改善されていたからおんぶする事が出来た。

トイレから戻ってからはずっとお尻のマッサージをしていた。

・10時
咳はだいぶ治まっていたが、カニューレをしている為、鼻が乾燥するのを気にしていた。

・11時20分
2週間ぶりのH在宅クリニックM医師の診察
・酸素飽和度99ー脈拍115
・血圧121ー80
👨‍⚕️「鼻の乾燥はカニューレをマスクにすると良いですよ。
やや貧血気味・胸の音、左弱いですね。
上部は大丈夫です。
酸素が足りていて息苦しい感じはコデインよりモルヒネ系の新薬ナルサスにしてみましょう。」

診察は2週間振りでも、途中経過は電話したり、訪問看護師さんから報告をされていたので体調の悪化はご存知だった。


玄関で見送る時に娘の前では話せなかった、今朝の状態を伝え
🙍‍♀️「娘の希望で今日、実家に連れて行きます。」

👨‍⚕️「その方が良いと思います。
  とても厳しい状態です。」
分かっていても、医師から告げられるとショックだった。

・13時30分
主人の母がお見舞いに来てくださった。

👩「おばあちゃんが心配すると行けないから」と、さーちゃんは歩けない事を知られないようにダイニングの椅子に座ったままでいた。

おばあちゃんにあったのは8月だった。

その時はステロイドの副作用のムーンフェイスでぽっちゃりしていたから、あまりに痩せた姿を見て義母は驚いたと思う。


さーちゃんは義母が居る間は元気に会話をしていたし、ランチの握り寿司を半分ペロリと食べていた。


今、思えば心配かけまいと精一杯元気に振る舞っていたのだろう。

・14時〜
理学療法士Aさんのマッサージを受ける時はグッタリしていた。

お尻に指圧を重点的していただき、腰→膝下までマッサージしていただいた。


玄関で見送る時に
「急に悪化しましたね・・・来る日を増やす事出来ます。」
心配そうに帰って行かれた。

Aさんが帰られてから主人に残ってもらい、私は介護ベットを置くスペースを作る為に帰宅した。

・17時〜18時
介護ベットのレンタル会社の方は急な移動の依頼にも、いつものように迅速に対応してくださる。

娘が動けない時から介護用品を提案してくださって、心強いサポートをしていただいた。
娘宅から我が家に介護ベットを移動する意味をご存知なのだろう。
私に気遣いの言葉をかけてくださり、テキパキと介護ベットを組み立ててくださった。

・19時30分

さーちゃんは、主人と妹に両側から支えてもらいながら歩いて階段を上って帰って来た。


在宅酸素療法のステーションを運ぶのも手慣れて来た主人。

酸素ボンベから酸素ステーションに切り替えて、鼻のカニューレもマスクに替えた。

娘は歩く事にこだわっていた。
朝は歩けなくておんぶしたけど、私の家ではまた歩行器でトイレに行けた。

・21時
同じ姿勢だと30分寝るのがやっと
痛みの強くなった大腿骨にアロマクリーム
日に日に衰弱していく・・・
話し方も声もいつもの娘と違う

👩「育休明けに職場復帰したい。

復帰したいと言ってきたけど、身体を支えてもらいながらやっと階段を上がった・・・体力が無くなって来ている。また元の身体に戻れるのかな・・・復帰出来るのかな〜?」


どんなに痛みがあっても「絶対に職場復帰する!」と言い続けていた娘が弱音を吐いたのは初めてだった。



体力の低下は娘自身が一番分かっていたから、慰める言葉も励ます言葉も見つからなくて背中をさするだけしか出来なかった。