転院すると決めてからは色んな事が猛スピードで進んで行った。
窓口が呼吸器科から退院支援科に移り、担当の看護師さんとの打ち合わせが始まった。
退院支援科の看護師Uさんはとても親切な方で、娘の症状を心配して気遣ってくださった。
転院先は3箇所あり、それぞれに紹介状が必要だった。
1つ目は
入院が必要になった時の為に緩和ケア病棟のある地元のK病院。
K病院は自分達で見つけた病院だった。
2つ目は
通院が難しいので訪問医療をしてくださる在宅クリニック。
これは自分達では探せなかったので、Uさんにお願いをした。
訪問看護については在宅クリニックが提携している事業所があるので在宅クリニックが決まれば自動的に決まるそうです。
3つ目は
センター病院で肺線癌の告知を受けた日、娘から報告された義両親が探してくださった免疫治療の東京のMクリニック
今後は在宅クリニックの緩和ケアと自由診療の免疫治療を受けて行こうと決めていたが、民間療法も取り入れていた。
娘は特に骨転移の痛みで日常生活のほとんどの時間をベッドの上で過ごしていたから、何としてもまた歩けるようになってほしかった。
残りの人生が短いならなおさら家族との日常生活を取り戻したかった。
2021.12.09 が主治医に会った最後だった。
薬も2週間分処方していただいた。
もうSセンター病院に来るのは事務的な手続きだとばかり思っていた。
だけど、10日から娘の骨の痛みはますます悪化するばかりで薬が効かなくなっていた。
薬を変えたり増量するためには娘本人の受診が必要になる。
痛む身体でも、在宅クリニックが決まるまではどうしてもSセンター病院に連れて行かなければならない。
運の悪いことに痛みが悪化したのは週末。
月曜日を待って病院に電話をした。
緩和ケア外来の👨⚕️が診察してくださる事になったので、孫の世話は休みのケイ君に任せて主人と2人で娘を車に乗せて病院に向かった。