残された兄姉、そしてパパのこと | 大切な時間

大切な時間

末っ子ハヤの闘病や家族のことを綴っています。

2010年10月から7ヵ月間、ハヤが入院して私は付添い、残されたパパとにいにとねえねの3人は私の実家にお世話になっていた。



パパの両親はすでに他界しているため、頼れるのは私の両親や姉弟だった。



パパが仕事を終えて午後6時頃に保育園へねえねのお迎えに行き、にいには家で宿題やら終わらせておいて、それから3人で実家へ行くとばあばが夕飯を作って待っていてくれる感じだったと思う。


実家まで40分。


季節は冬。


朝もそれなりに早い。




じいじとばあば二人でのんびり生活をしていたところに転がりこんで食事の用意、弁当の用意、洗濯など身の回りの世話を押しつけてしまったこと申し訳なく思ってる。


じいじの体調も良くなかっただろうに、


「こっちの事は気にしなくていいからハヤちゃんの傍にいてやりなさい」   


ばあばがそう言ってくれたこと本当に感謝してます。




それでも最初は大変だったらしい。


急に母と弟がいなくなったのだから当り前かあせる


もう、いろいろ解っている年齢だから大丈夫だねって思われがちなんだけど、解っているから我慢しなくてはいけないことや吐き出せないこともあったと思う。



ハヤの手術が終わってICUにいた2日間は付添いが出来なかったので、夜には家に帰っていた。


寝る前だったか、にいにがポツリと


「僕が替わってやりたかった・・・」


と呟いた。


こんなこと言わせるなんて、私は自分しか見えていなかったんだなって反省した。




ねえねはしばらくの間、パパにべったりで何するにもパパと一緒でなくてはダメだったらしい。

 

「いや~参ったな~ (^▽^;)」


ってパパ少し嬉しそう!?だよ。





それでも、この兄姉はたくましいな~と思う。


時々、病院に来てはハヤを元気づけて、ガチャガチャを1回ずつやってご機嫌で帰って行くんだから。


おかげで私はばあばに怒られた ( ̄Д ̄;;


「こんなもの(スライムとか)増えて困るのよっむかっ」って。



そして最後の方には自分たちの生活の基盤を築きあげて病院に来なくなった。


にいにからくる電話は、


「今度のサッカーは○○のお母さんに乗せてもらうからお礼言っておいてビックリマーク


とか、そんな感じだった。


まっ、いいんだけどさ~( ̄▽ ̄)=3




そしてパパ。


仕事忙しくって、それでも合間をみて来てくれた。


夜8時頃きて


「疲れた~」


なんてイビキかいて寝てしまい、夜中に峠を帰って行ったことも何度かあった。


「何しに来たんだよ~汗


なんて、本当はありがとうって言いたかったんだ。




この7ヵ月は決して無駄じゃなかった。


みんな、それぞれ成長したので、『よし』とします合格