水無月の夏越の時期が

またやってきましたね

これは過去に書いた記事ですが

大切な事なので再掲します



伊勢神宮の内宮で出逢った方は

神宮で長年神職として勤め上げ

定年後は関東の『○○神宮』で

宮司を務められた方でした🙏


何年もの間、名前も素性も

一切教えて下さらなかったので

私達の中では

『只者ではない謎のお爺ちゃま』

と呼んで(大失礼💦)ましたが😣

誠実で真面目で真っ直ぐな

誰が見てもそうわかる方です



その方から今回

「夏越の大祓」には是非皆さんも

大祓詞を宣り、清浄を祈り、

大祓いをお願いしますと言われました


参考になれば…と頂いた大祓詞や

罪や穢れについての説明を

大祓の前ですのでシェアしますね

※少し長いですがご了承下さい🙏


罪・穢れと祓い

はじめに

神社では「祓いに始まって祓いに終わる」と云われますが、何を祓うのか、祓わなかったらどうなるか、

祓いを受けた後は救われるのか。また罪とは何を云うのか、あるいは穢れはどうして起こるのかと、日本人古来の考え方を振り返りながらごく常識的な範囲を知っていただきます。

祓いの起源

「罪」といい、「穢れ」というのが発生しないと祓いをする必要がないのでしょうか。古事記(和銅四年712年)に罪・穢れの起源が見られます。それは、女神イザナミノ神が亡くなられ黄泉の国(死後の国)に逝かれたので、男神イザナギノ神が黄泉の国を訪ねられて女神の死体をご覧になります。女神の体は腐乱の状態で、その汚い亡骸を見て驚かれます。つまりその行動が穢れとなって、男神イザナギノ神は筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓いをなされるのです。また罪の起源は天照大御神の弟神スサノオノ神が高天原において稲の収穫を邪魔したり、神祭りに用いる大事な神御衣を織る清浄な天機屋に天斑駒を生き剥ぎにし投げ入れられたので、機織女が驚いて機の梭に陰上を衝いて死んでしまう。そこで天照大御神が天岩戸に隠れられるのです。

これがスサノオノ神が犯した「罪」ということになるのです。そのためスサノオノ神はいろいろと償いを科せられ、千位の置戸(物を置く台)に祓いの具を差し出し、高天原を追放され出雲地方へと降られるのです。そこで八俣の大蛇と出合い、大蛇を見事に退治されその地方を開拓し農耕を広められるのです。以上が罪と穢れの起源と見られ、それは我々の日常生活にあって知らず知らずのうちに犯す罪、ふれる行為が穢れとなります。

○祓いの対象

古来、神道では「清く明るく直く正しく」という徳目が行為の原点とされ、神様から授かったものとされています。この正常な状態に逆らう一切の災い、罪・咎・穢が祓いの対象とされています。つまり心理状態として「慢心・わがままの心」を祓って、もとの「清い明るい直い正しい心」にかえることが祓いであります。具体的には「死の穢れ・咎・病の気・怨念・不平不満・死の恐怖・ねたみ心・或いは今日的ストレス」等を祓い去る事になるわけです。

神道の考えでは、生まれながらの原罪的なものではなく、日常の暮らしの中で、罪・咎・穢に出合い、それを祓って消滅させることになります。毎年六月、十二月の月末に「大祓い」を行い、住んでいる地域全体を祓い清める神事を大切に守り伝え、清明心を保持することに努めてまいりました。


天津罪・国津罪とは

約千三百年前に成立したという「大祓詞」の中に「天津罪・国津罪・許々太久の罪出でむ」とあります。「天津罪」とは農耕生活を妨害する行為を指します。畔放・溝埋め・樋放ち・頻蒔・串刺・生き剥ぎ・逆さ剥ぎ・屎戸の八つの罪。

「国津罪」とは、日常生活に関わるもので、異常な行為と共に、自然災害も加え、災害は正常でない心理状態によって引き起こされるものであるとしております。生き膚断ち・死膚断ち・白人・こくみ・己が母犯せる罪・己が子を犯せる罪・母と子を犯せる罪・子と母を犯せる罪・畜仆し・蠱物する罪・畜犯せる罪・昆ふ虫の災・高つ神の災・高つ鳥の災・その他許々太久の罪。

人間は神的存在(精神・良心)と動物的存在の中間に位置する両面を同体で有する存在でありますが、日々神的存在に近づこうとする努力、その道が神道であります。

折に触れ時に臨んで祓いを受けながら、明るく楽しく豊かな心で暮らしながら総てのものを生かし、伸ばし、育て、お互いに助け合い、許し合って生きていく道が神道の真髄であります。



※出典等はわかりません。

悪しからずご了承下さい🙏