ここ4日間はバイトラッシュでした。がっつり稼いだどー!!

働きすぎで休む暇もないって?いえいえ、おかげで虚しいクリスマスを過ごさずに済みましたよ。

ポジティブシンキング \(-●_▽_●-)/フォー!!


12月24日夜、というか日付が変わったころ、行きつけのチャットに顔を出したら『シングル』ベル会をやっていました。クリスマスを一人で過ごしている人々のネット上のパーティですな。ええ、シングルなオレも喜んで参加しましたよ。日本全国でズコバコしているカポーどもを恨みながら。(笑

このタイミングで流れ星が流れたら、「どうか1組でも多くのカポーがミステイクで合計特殊出生率の増加に貢献してしまいますように」と願ったことでしょうな。ヽ(`▽´)/ウケケ

まぁミステイクしたところで、産科よりも婦人科のほうが出番が多いのが今の日本の現状なのでしょうがな。


でもねー、今年はいろいろありましたね。短い間だったとはいえ、オレ自身はじめて彼女をもった年でもあったしね。(・m・*)ぷ。 ただ、いま振り返れば、あれはまっとうな恋愛ではなかったなって思う。相手が好きだから付き合うというよりも、恋をしたいから付き合っていたんだなぁって。ある意味ナルシストの境地だよねー。恋をしている自分が好きだっていうイメージ。もちろん、付き合ってた過程では本気だったけど、それ以上に自分の新たな面を発見したかったっていう気持ちが強かったと思う。

まぁつべこべ言い訳したところでどうにもならんし、モトカノ様にご迷惑なので多くは語りませんけど。<(_ _;)> ただね、モトカノがオレを振らずとも、あと1ヶ月もすればオレの方から別れ話を持ち出してただろうなって、それが最終的な結論です。(゜▽-)-☆ニパッ


でもやっぱ一人身は寂しいね(T。T)オレは別に恋愛体質ではないけれど、たった一人でいいから自分を理解してくれる人には傍にいて欲しいなっていつも思う。無駄に寂しがりやですから。(-_-;)ヾ

でも最近はどうしても、人は所詮分かり合えないなっていう投げやりな感情が付きまとっちゃうな。オレは人一倍コミュニケーションがヘタクソだから、他人との距離を作るのが煩わしくなってしまうことが多い。ずっと一人でいるのは辛いけど、人と接していると逆に、一人になりたいって思い始めてしまう。結局オマエはどっちなんだ!って、自分の中でジレンマ。何がいけないんだろうって自分でもよくわからないんだけど、絶えず相手が自分をどう思っているのかってそればかり考えてしまうから、人と接しているのがすごく疲れる。他人に合わせて「空気を読む」っていうフレーズが大嫌いだ。


んー、人と上手くやるにはどうしたらいいかって、考えてたら頭痛くなるばかりだよ。(^_^;)

経験値上げるしかないんじゃねーの?って、それしか結論が出ない。

世渡り上手な人、ヘルプミー。(>_<)

ぶっちゃけ大五郎って不っ味いね。(-_-;)あれはチューハイとして割って飲むものだから味がよろしくないのは百も承知なんだけどさ、さっさと酔いたいからロックで手を出したものの、なんだか消毒液の味がしたよ…。やっぱバイト上がりの一杯は生ビールに限りますな。てか、仕事上がりに酒めぐんでくれる職場なんてそうそうないよな。つくづくいい店だわ。メシも旨いし、やっぱ焼肉屋はやめられない。(笑


帰宅後、風呂上がりに口直しのモスコミュール飲んだら、すっかりできあがってしまいました。(´▽`〃)いまそういうテンションです。大五郎とモスコならべつにチャンポンでもなかろうに、なんでこんなに酔ってるんだろう…。強い酒と弱い酒を併せて飲むと激酔いするって、特異体質だろうか。(笑

一昨日の飲み会の戦跡はグラスビール×3、モスコ×1、抹茶ミルク×1、芋焼酎ロック×1。果たして自分は酒に強いんだか弱いんだかわからん。



はぁ、今冬中に哲学を語れる男になりたいと思ったものの、勉強が全然進まんよ。『ソフィーの世界』も全然読み進めてないなぁ。あの初歩本でさえ2~3回読み直さないと理解には至らないだろうに。道は長いのぉ。

( ̄д ̄)=3

一昨日はクリスマスになぞらえて「子供がサンタクロースの存在を論証する過程と、一般的な人間が神の存在を論証する過程の共通点」とか語ろうとして、結局まとめられなくて断念しました。(w


そうそう、オレ自身はまだ哲学についてほとんど何も語れないんだけど、『ソフィーの世界』で紹介されていた「キルケゴール」という哲学者の「人生の実存論」が非常に共感できたので、ちょっと紹介。とはいえ、ほとんどソフィーからの受け売りです。(笑


キルケゴールはヨーロッパのロマン主義と呼ばれる時代の哲学者の一人。ヘーゲルの影響を受け、当時ヨーロッパに蔓延していたヘーゲル哲学に対抗する形で自説を展開した。その辺を少し詳しく述べると、ヘーゲルは歴史というものに重点を置いた。ヘーゲルはこう考えた。哲学者が唯一信じられるものは歴史であり、歴史ごとに善悪が異なる。個人は歴史の中に生まれ、歴史に大きく影響される。あるいは、国家や社会など、全体的なもののなかに個人が生まれる。大雑把にイメージを持つならば、ヘーゲルは個人とは大きなものに影響を受けるものだと説いた。

それに対しキルケゴールは、個人はそれぞれ個人として意思を持ち、個性を持つと説いた。キルケゴールの哲学は、大きなものよりも個人そのものに重点が置かれる。ゆえに、神の存在などについても、キルケゴール風に言えば「神は存在するか」それ自体よりも、「神が個人にとって必要であるか」と考えるほうが大事なのだという。そして、神など証明の仕様がないものに関しては、それが個人にとって重要であれば、「信仰する」ほかないのだと説いた。

そんなキルケゴールが考えた哲学の中で、人間には三つの実存(実存とは、事「実」どう「存」在するか)の段階があるという説がある。それぞれ、「美的実存の段階」「倫理的実存の段階」「宗教的実存の段階」である。彼によると、人は最初の二つの段階のどちらかに生きているが、ある日突然より高い段階に跳躍するのだという。もっとも、多くの人は最初の二つの段階で人生を終える。

美的実存の段階の人間は刹那的に生き、楽しむ機会を追い求めている。美しいものや快いもの、心地よい物を重んじ、感情に身を任せ、ダサいことは受け付けない。この段階の人間は不安や虚しさの感情に陥りやすい。しかしキルケゴールは、不安は次の段階へ跳躍できる可能性の表れと肯定的にとらえていた。

倫理的実存の段階の人間は、まじめに道徳をかたく守って生きる。自分の快楽ではなく、倫理的、理性的善悪に基づいた行動を考える。まさしく美的実存と対比するためにキルケゴールが設定した実存段階である。しかしマジメすぎる人間もやがては退屈し、短絡的な美的段階に逆戻りする可能性も大いにある。

そこでさらに跳躍する実存段階の可能性としてキルケゴールが考えたのが、宗教的実存の段階である。「信仰をよろこびや理性が命じる義務の上に置く」段階であるという。(「」内は『ソフィーの世界』からの引用だが、オレ自身いまいち解せない。)要するに快楽よりも理性よりも、もっと高みの崇高なものの存在を信仰することで、はじめて本当の意味で救済されると考える段階のことらしい。ソフィーの世界にもあまり多くは書かれていないのでよくわからないのだが、極端に言ってみれば瀬戸内寂聴さんのような、作家から世間の雑念を捨てて宗教的境地に至った人がこの段階に達しえるのかなと考えてみた。


オレは、いまはまだ美的実存の段階だなぁ。快楽を求める短絡的な思考回路しか持ってないし、そうである自分に異常なまでに不安になる。キルケゴール風に言ってみれば、美的実存から倫理的実存への過渡期なんだろうなぁ。将来を見据えて今から資格勉強とかしてる知り合いは、もう倫理的実存の段階に生きてるのかなぁ。でもクソマジメなだけの生き方じゃなくて、やっぱり美的実存との間をさまよってるんだろうなぁ。ましてや宗教的実存の段階に至ってるヤツなんて、逢ったこともないな。

ただキルケゴール論にのっとるなら、何が自分にとって満たされることなのかって、それぞれの実存段階によって大きく変わってくると思う。いまオレがいちばん欲しいのは、美的実存の観点から言って「快楽」なんだけど、実存段階が変われば「達成感」とか、「解脱感」とか、いろいろあるんだろうな。オレ自身、まだまだ哲学的観点からも成長段階にあるんだなぁって、キルケゴールに教えられました。(笑

タスク漬けの冬休みのハズながら、いまだに筆箱すら開けようとしないMagneです。( ̄~ ̄)

べつに遊んでるわけでもないんだけどなー。家にいるとスイッチがまったく入らん。

冬休み入ってからなんかしたっけ?あー、一昨日に高校のときのメンバーで飲みをしましたな。池袋で忘年会。高校のメンバーとの飲み会は毎回オレが開いてるので、自ずと幹事はオレ。今回は池袋のお店で予算3000円飲みホつきを目標にしてたんで、探すの苦労しましたわ。(´д`)この時期ただでさえ予約もいっぱいだしねぇ。まぁ飲み会の3日前まで店も探さずにサボってたオレの自業自得なわけなんだけど。(笑

最終的には、条件に見合うお店をなんとかゲット。\(≧▽≦)/お酒も美味しかったし、料理も値段の割にはいい感じだったし、文句なしでした。

んー、でも高校の慣れ親しんだ友人たちながら、何かが変わってきてるなぁって思わずにはいられなかった。( ̄~ ̄;)先日絵を送ってくれた画伯はすっかりヘビースモーカーになってたしね。(笑

それ以上に、雰囲気的なものが変わってきたのかなぁ。大学でのコンパ経験を積んできてるせいか、みんな飲み会の席にすっかり場慣れしてる感じがしたよ。よく言えば落ち着きが出てきて、自分の位置をしっかりわきまえるようになった。言い換えるなら、オールマイティに振舞えるようになったって感じかな。誰が相手でも適度な距離感で歓談できるスタイルになったなっていう印象だった。ただその反面、個性が薄くなったんじゃないかなぁって気もしたなぁ。このメンバーが醸し出していたこのメンバーならではの空気が、徐々に薄れつつあるんだなぁって。個人と個人が気持ちいっぱいぶつかりあっていたかつての関係じゃなくて、いまはもうそこに集まったメンバーがその場で融和するだけの、一時的なコミュニティになっちゃったのかなぁって。まぁ半年に1回集まれるかどうかっていうメンツだから、仕方のないことなのかもしれないけれど(^_^;)。みんな生活環境が変われば、関係も徐々に変わっていってしまうんだねぇ。なんだか寂しいよ。(ToT)

そもそも、いつも飲み会やるのは高校で吹奏楽部の同期だったメンバーなんだけど、大学入ってオレだけが吹奏楽やめたことで、オレ自身が距離を感じて感傷的になってしまうのかもなぁ。なんだか住む世界が違うよ。ヽ(-_-;)/ ヽ(;-_-)/オロオロ

あ、でもオレの気まぐれで飲み会は随時開きますんで、飽きずにオレの相手してやろうって方は奮ってご参加願いますわ。m(_ _)m

その日は飲み後にマイミクの「スズ。」らとともにボウリングも行って、そのまま以前日記に書いた「ぼんクラ」の下宿先に泊めてもらいました。前に一度泊めてもらった経験で、「次行くときは絶対に寝袋を持っていく!」と心に決めながらも手持ち無沙汰で乗り込み、案の定眠れぬ夜を過ごしました。夢に落ちかけると誰かが耳元で囁くのです。「寝るなー!!寝たら死ぬぞー!!」と。室温氷点下でフローリング床に直寝とあっては、雪山も同然です。(^_^;)

結局朝方まで一睡もできずにのた打ち回り、ぼんクラに申し訳なく思いながらも、始発の時間を見てコッソリぼんクラ宅を後にしました。池袋朝5時。冬の朝は日の出もまだ遠く、ビル街は束の間の休息に安堵して眠っているかのような静けさでした。池袋駅までの冬の早朝の散歩は、なんだか見たことのない世界への旅立ちのようで、無駄にワクワクしました。激しく眠かったけど。(´д ゞ)


うぬー、これ書いてたら1時間ぐらい経過して、プツっと集中力が切れてしまいました。

もっとネタいっぱい考えてたのに、書ききれん~。(ノ_ _)ノ バタッ

飲み会話で終わってしまったけど、このへんで更新☆

今日で授業期間が終了☆

とりあえず補講もないので、明日から束の間の冬休みに入ります。(´▽`)ゝイェイ!

てか、大学の年間スケジュール的に、授業期間のほうが「束の間」なんじゃないの?とか思う。(笑

だって冬休みが終わったら、1月は授業2週間とテストだけやって、またすぐに春休みなんだもん。


とりあえず誰も興味ないであろう、オレの冬休み中のタスクをチェキ。


<大学関係>

① 英語レポート 「ロビン・フッドについて思うところを述べよ」 (300~1000語)

② 英語レポート 「世界の好きな地域について、事件または現状とそれに対する意見を述べよ」(A4 1.5枚)

③ 債権総論の復習

④ 法政策論の復習

⑤ 行政法の復習

⑥ 現代音楽論レポート、おそらく現代音楽について思うところを述べよ のプロット作成

⑦ ドイツ語の宿題


<私情関係>

① 『ソフィーの世界』を読破

② 小説を1話書く


んー、( ̄~ ̄)こんなところか。結構あるな。てか、これ全部やってたら冬休み終わっちゃうじゃん!!外出してる暇すらないじゃん!!でもオレはわかっているんだな。大学関係のタスクは、どうせ①と②しかやらないだろう。特に③、④、⑤は、テストの1日前にやるという暴利に出るな。

ぶっちゃけた話、オレは勉強が嫌いだ。というか、集中力がもたない。1日24時間のうち、オレが勉強に集中していられる時間は合計してもせいぜい2時間。1時間50分ぐらい勉強を続けると、ウルトラマンのカラータイマーのように限界サイレンが鳴り始め、無性に教科書を投げたい衝動に駆られる。勉強にストレスを感じずにはいられない体質なのだ。だから、日ごろ授業に出てても大切なとこ「2時間」だけ集中し、あとは睡眠で補っている。

テスト勉強なんて悲惨なものだ。こうテスト1ヶ月前になるとみんな焦り始めて、日に3~4時間ぐらいは勉強時間に充てるのが普通だ。(そもそも周りは大学受験で日に10時間とか勉強してた人たちだから、それぐらいお茶の子さいさいなのだろう。オレは大学受験のときも日に2時間勉強が限界だった。)

しかし、いまではテスト前でオレが焦り始めるのは、もはやテストの3日ほど前になってからだ。


さて前期の場合、オレはテスト1日前勉強(それも1夜漬けですらなく、前日に各教科2時間程度)という暴利でギリギリ「可」におさえた科目が4つあった。うち2つは必修だった。自業自得と諦める以上に、いっそ不可が4つついてもおかしくないとさえ思っていた。逆に、オレ程度のやっつけ答案で単位が来るのかと、評価の甘さにがっかりもした。「可」という評価は非常にモチベーションの下がる評価だ。「お前は当科目に対して理解が不十分だが、まぁ努力が認められる余地もあるので救ってやろう」という、お情けの評価だ。自分的には、「不可」と同等と見ている。いっそ不可なら、次は落とせないという危機感もあって勉強へのモチベーションが上がる。でも、理解もないままに可で単位だけもらうのは、見放されたようで悔しい気持ちがあった。

なので、後期は前期に可を食らった会社法を、モグリでもう一度受講した。会社法をやり直したのは、法曹資格の勉強もままならない自分には就職の道しかなく、その上でせめて大学で勉強した証として、一番実務的な知識が欲しかったからだ。そして、2度目の会社法で必死に授業を聞いた。「株主総会は会社経営のわからないど素人の集団だ」と知った。あとは、あとは、・・・あとはあまり覚えていない。

結局わかったのは、ボーっと授業を聞いているだけで復習もしないような自ら勉強をする意思のない者に、知識の習得は不可能だということだけだった。


いま欲しいものがあるとすれば、何時間でも勉強をしていられる集中力。

しかし、それ以前に欲しいものが、勉強に対するモチベーション。

さらにそれ以前に必要なのが、自分が勉強をする理由。


そのへんの意識がなければ、いくらリストアップした勉強タスクをすべてこなしても、何ら得られるものがない。得られるものがないからモチベーションがなくて、集中力が持たないという悪循環。

もはや廃人なのか?_| ̄|○

君たち、どうしてそんなに頑張れんの?なんだかアタマの違いという答えで片付けられそうで怖い。

いま哲学が勉強したくて「ソフィーの世界」っていう本を読んでいる。1995年発行で世界的なベストセラーだから、知っている人も多いんじゃないかな。前半は哲学者アルベルトからソフィーへの手紙形式、後半はアルベルトとソフィーの対話形式で哲学の談義が繰り広げられるという内容のストーリー。臨時でやってる塾講師の雇い主の先生から、哲学を勉強するのに初歩的な本はないかと聞いて薦めてもらった本。小説形式ながらも、時代や哲学者ごとに段階的にストーリーが流れていくので、哲学の発展段階が非常に捉えやすい。

しかし、今現在3分の2ほど読み終えたところで、かれこれ4ヶ月もかかってしまった。オレのような大衆文学や簡単な小説しか読まない人間にとって、いきなり哲学思考に入るのはキツイ。いくら初歩的なことから書いてあっても、理解は容易ではない。これだけ時間を費やしても、ナナメ読み程度の知識しか身についていない。少年老い易く学成り難しとはこのことか、と久々に実感。


なぜいま哲学なのかと言うと、そもそも哲学には昔から興味があった。小学生の頃、初めて「哲学」という言葉を聞いたときに意味がわからなくて、今は亡き爺さんに聞いたことがあった。(爺さんはたいへん頭のいい人で、いまのオレに学歴が備わっているのも、爺さんからの隔世遺伝だとよく言われる。)

爺さんは小学生のオレにもわかるよう、こんな説明をしてくれた。

「例えば、弓矢で的を射るとする。まず弓を引いて、それから手を離す。すると矢は手元から離れて、次の瞬間には的に刺さっている。矢はとても速いスピードで飛んでいくので、目でとらえることはできない。さて、では矢は本当に弓から的までの間を移動しているのだろうか。自分の目でそれをとらえることができないのに、どうして矢が的まで一直線に飛んでいると言えるのだろうか。哲学とは、そういうのを考える学問だ。」

もちろん、現代の技術では高速撮影用の高性能カメラなどがあれば、それを証明することができるだろう。しかし、哲学とはつきつめればそれすらも疑う学問である。デカルトは全てのものが存在しないと、一旦否定してみた。一旦否定した後にひとつだけ肯定できるものを見つけた。それが、考えている自分自身。かの有名な、「我思う、故に我在り」の言葉で表される論理だ。

デカルトを語らずとも、爺さんの示してくれた例は、哲学の基礎的な問いに合致する。例えば「死後の世界は存在するか」という問いである。それは飛んでいる最中の矢のように、果たして存在するか誰も知りえないものである。そしてそれを高性能カメラのごとく映し出そうとする、幾つもの宗教教義がある。どれが答えなのかは誰もわかりえない。哲学とは証明のできない学問だからである。


オレ自身まだ哲学を語るには未熟すぎるし、これ以上話すとボロが出そうなのでこの辺で失礼。(笑

とりあえず冬休み中にソフィーを読み終えるのが自己課題。(^_^;)

正直ショックだわ。(´д`)まさか、AOセプトが店頭から姿を消してしまうなんて。


コンタクトレンズってさ、ぶっちゃけ洗うのメンドイじゃん。最近までは1本ケアのヤツでマメに洗ってたけど、この時期に流し台で時間かけて洗うのは寒くてしゃーない。特にバイトから帰って来た後は、コンタクト洗いに時間かけてないで、さっさと風呂に入りたいのよ。そんなときにチバビジョン社のAOセプトは重宝してたのよねー。AOセプトってオキシドール系の消毒キットなんだけどね。なにがスゴいかって、レンズ外して消毒液入れたら、あとはそのまま朝まで放置でOKなのよ。ほっとけばオキシドールが自動的に中和されるから、朝軽く洗ってつけるだけでいいのね。このカラクリには感動したね。なんせ、中学の化学でおなじみの実験が応用されてるのよ。酸素の発生方法、覚えてる?オキシドールが何で自動的に中和できるかっていうとね、消毒ケースに二酸化マンガンが入ってるから、それを触媒にして水と酸素に分解しちゃうのね。だからオキシドールが数時間後に無毒の水に大変身。これをコンタクトレンズ洗浄に応用したアイデアってすごいなぁって、つくづく思っていたわ。なんか会社の営業みたいになってしまったけれど、そこまで贔屓しているわけではありません。(笑

でもそんなAOセプトもあまり人気はなかったみたいね。夏ごろに特価で出てた「バカンスパック」っていう消毒液と保存液の詰め合わせがあったんだけど、秋になっても山のように売れ残ってたわ。地元のマツキヨも値下げに値下げを重ねてついに諦めたらしく、いつのまにかバカンスパックは店頭からなくなってたけどね。あとは通常版の消毒液が売れ残ったように置いてあったけど、特に安くもなかったので買う気もしなかったなぁ。だって洗浄用の保存液とセットで買わないと使えないんだもん。(´д`;)


また1本ケアに戻すかなぁ。最近はロートのSoftoneっていう1本ケアが、やたら特価だね。どこでも500ml入り(モイストタイプ)が1080円で統一されているのはなぜだろう。

でもこすり洗いがメンドいから、結局コンセプトFを買っちゃった。オキシドール系だけど、液を入れ替えて中和するタイプ。んー、AOセプトに慣れてると中和を忘れちゃいそうで怖い。(-_-;)でもバイト帰りのコンタクト処理の手間を考えたら、しばらくはこれだな。


コンタクトレンズもいまは2ウィークアキュビューだけど、次回処方箋書いてもらうときはO2オプティクスにするつもり。6倍の酸素透過性を試してみたい。レンズが相当厚いらしいけど、装着感抜群らしい。あと目薬もあんまいらないらしい。個人的にドライアイ傾向で、目薬は多用するほう。電車とかで寝ちゃうと、目が乾くから必ず差してる。授業中に差してるのも同じ理由。(ボソ) 意外と目薬代が馬鹿にならない。それを節約できるのは大きい。ただO2オプティクス自体が高額だから、2ウィークアキュビュー+目薬とどちらがお得か微妙なところ。アキュビュー製品も早くシリコンハイドロゲル素材を使用してほしい。


そんなわけで、無駄に込み入ったコンタクトレンズ談義でした。(微

   azusa

△ 高校時代からの友人からイラストをいただきました~☆ (まだあるので後でHPで公開)

彼は美少女系イラストに関してはもうプロフェッショナルな腕前で、一部作品はコミケにも出品したらしいですな。吹奏楽部で高校時代を共に過ごし、大学行ってからもジャズでトロンボーンに従事するガンバリ屋さんなんですが、イラストのほうも手を抜く事なく描きつづけてくれていてなによりです。(´▽`〃)それ以上に、また腕を上げたな、と率直に思いました。素敵なクリスマスプレゼントになりましたよん。


んで、これは何のキャラかって話ですな。えー、恥ずかしながら、オレHPがで公開している自作小説のキャラです。小説といいつつもまだ未完成で、それもかれこれ9ヶ月放置しています。これには深いわけがあったりなかったり。(^_^;)


いま思えば、オレがいちばん燃えてたのが、彼を含めた吹奏楽部のメンツと過ごしてた高校時代です。そのひとつが進学校という名目上、受験に目標が定まっていたことなんですがね。しかし裏では、男子高の性(さが)という特質上、婉曲的に申しますと「燃え」だけでなく「萌え」の文化も発達していたんですな。アキバのメイドカフェブームの先取りってわけです。

でね、オレは本当はもともと硬派な人間だったんですよ。例えば「ときメモ」なんかにうつつを抜かすヤツは、ただのキモオタだ、なんて言い切ってしまう人間だったんです。でも男子高の世界では、朱に交わらんとやっていけないわけなんですな。他人と話題が合わないツラさったらないでしょ。とりわけオレを取り巻く環境では、「萌え」文化が花開くのが早く、そっち方面の話題が多くて当時のオレはついていけなかったんですな。んで思い起こせばそう、イラストをくれた彼から「ONE ~輝く季節へ~」っていうゲームを借りたのがきっかけでしたな。

言っちゃいましょう、美少女系恋愛サウンドノベライズです。


んでね、最初はバカにしてたんですよ。2次元の美化された女の子たちと、絵に描いたようなモテ男の主人公で構成された、ただの妄想恋愛ストーリーだって。こんなの、現実を見ない引きこもりのやるゲームだって。でもね、一通りやってみたときに、違う感想が生まれたんですよ。


                               「わからない」。


そう。ゲームをプレイしてはじめてわかったことは、ストーリーが一筋縄ではわからないということなんですな。物語が深まれば深まるほど、ただの恋愛ノロケ物語じゃなくて、超現実的な概念も含めた奥深いストーリーに深化していくんです。そのときからオレの美少女恋愛SLGに対する見方は、ただのキモオタ向け妄想ゲームから、「音楽とイラストとストーリーが織り成す、ひとつの世界の映し方」へと高められたんですな。もうまさに芸術ですよ。ある種の欲望を満たす下劣な媒体なんかじゃなくて、いわば音のある紙芝居。革新的な芸術との出会いでした。


それからいくつかソレ系のゲームを借りたりしてプレイする中で、いちばん印象に残ったのがKeyという会社の「AIR」というゲーム。名作として名高いゲームなんだけど、AIRが織り成す世界はいま思い出しても鳥肌が立ちます。夏を舞台としたストーリーなんだけど、まず背景が物凄く綺麗。本当に画面の向こうに吸い込まれそうなリアリティと、そこに根付く確かな生活感があるんですよ。それから音楽。折戸さんという、その筋の人間には有名な作曲家さんがいるんだけど、その人が作った曲の数々。中でもピアノで奏でられる「夏影」という曲は、レトリックに言えば、あの世界に色では表せない色を着けたとでもいうべきとても印象的な曲です。いまでも耳が鮮明に記憶してますな。そしてなによりもストーリー。美少女SLGならではのアホっぽさを随所に出しながら、その世界全体がもつ超現実性は並々ならぬ重さを持っているんですな。最後に向かって徐々に比重を高めていくその超現実性が、非常に心をひきつける魅力を持っているんですよ。

その3つのファクターの表現がすべて綺麗に合わさって作り出されたAIRの世界が目の前に現れたとき、本当に自分がその世界の住人であるかのような錯覚さえ感じました。


そのとき、自分の中にひとつの可能性が見えてしまったわけです。


                              「悔しい」と。


どうして、こんな一見単純な美少女恋愛ストーリーなのに、どうしてこんなにも感動させられてしまうのだろうか、と。そして、自分にもこんな世界を描くことができるだろうか、と。そしてその思いはすぐに、自分もそんな世界を描いてみたい、という意欲につながったんですな。思い立ったのは高2の頃だったかなぁ。AIRに負けないストーリーを作りたくて、プロット作って、ちょこっと書きはじめてみたんですよ。最初は誰にも見せないで、全部書き上げたら誰かに見てもらおうかなぁって思ってたんです。でも、やっぱり誰かに見てもらいたくて、HPを作ったのもそれがきっかけでしたな。

ストーリーも、最初は練習程度で、10話ぐらいで軽いものを作ってみようって思ってたんです。でも書いてるうちに、もっともっと深いものを書きたいって思うようになって、プロットもどんどん深化して、10話を軽く超えてしまったんですな。しかも文章表現にもこだわりが出てきて、書き上げるのに何度も推敲するようになったんですな。んでいま18話ぐらいまで書いたのかなぁ。まだ途中なんで、正直、自分でも覚えてないんですな。(笑


でも、気付いたらこだわりすぎがかえって重荷になってて、ストーリーを進めることにプレッシャーすら感じるようになってしまったんですよ。いろいろ考えすぎて逆に書けなくなってしまうというのかなぁ。なんだか理想とするストーリーが高すぎて、自分の表現力がそれに追いついていないという感じで、自分の作品なのに書くことに躊躇いを感じてしまうのですな。

そして、高校卒業後の現実との葛藤。大学に入ってから法学をはじめ、政治やら世界情勢やらそれこそ「現実」に学ばなければいけないことが山ほど増えてしまったんですな。そんなときに、こんな妄想ストーリー作成にうつつを抜かしている場合ではないのではないかと、日々そんなプレッシャーを感じるようになってしまったんですよ。時間はあるのに、執筆に向き合おうとする姿勢がなくなってしまった。そのうちに、ただ本当に時間だけが経過してしまった、というのがいまの状態なんですな。


そんなわけで、いま停滞している自作小説なんですけど、彼からイラストをもらったことで、少しモチベーションを取り戻しつつあります。ホントはこんなことを書いて、このブログの読者の皆さんからオレがオタク属性だと思われるのも少々懸念しているんですけど、まぁそれも事実だから仕方ないでしょう。(^_^;)

小説を仕上げたいと思う気持ちはいまも変わってないので、大学卒業までの課題です。てか、オレの中での卒業論文です。(笑

小説を読んでくれてる読者の皆様は、次の更新まで今しばらくお待ちくだされ。m(_ _)m

こでぃーからバトンもらいました。

バトンとかやるのは音楽バトン以来かなぁ。あれは結局もらったきり放置した覚えが…(-_-;)

でも今回はちゃんとやります。

やらないと悪徳金融社長こでぃーにお金とられるみたいなんで。(^_^;)笑


■Q1.今やりたい事


 哲学の勉強。 「世界とは何か」を問うこと。



■Q2.今欲しい物


 それを理解する頭。

 哲学の背景となる世界史の知識。



■Q3.現実的に考えて今買っても良い物


 audio-technica製のイヤホン。



■Q4.現実的に考えて欲しいし買えるけど買って無い物


 性能のよいボウリングシューズ。


■Q5.今欲しい物で高くて買えそうに無い物


 新しいノートパソコン。



■Q6.タダで手に入れたい物


 意外とお高い、使い捨てコンタクトレンズ。


■Q7.恋人から貰いたい物

 

 ペアの携帯ストラップとか。

 価値あるものより気持ちあるもの。



■Q8.恋人にあげるとしたら


 モノよりサプライズ。


■Q9.このバトンを5人に回す。

 

 すず。やってみる?

 ゆうまはもうやったかな?

 bunsyouももう回ってそうだなぁ。

 なおはどう?もしヒマだったらやってみて~。

 inabya先輩にもお願いしちゃおうかな。


 中高時代のお友達関係で当たって見ました。(^。^)



■Q10.このバトンを無視したら?

 

 成人式で暴れます。(笑

レミオの「粉雪」を借りにTSUTAYAに行ったら、CD出てるの発見しちゃったよ。



            「もすかう」



「恋のマイヤヒー」に続く日本語ソラミミ曲として、かの眞鍋かをりお姉さまも注目していた「もすかう」。(トラックバックってこういうときに使うのだろうか?) もともとの曲はドイツ語の歌詞で、原題は確か「目指せモスクワ」。歌っているのはドイツのグループ「ジンギスカン」。かの有名な ♪ジン・ジン・ジンギスカーン の歌を歌っているのが、まさしく彼らだ。個人的な思い出としては、うちの小学校では20分休みに全校生徒で縄跳びをする期間があって、そのときに流れていた曲がジンギスカンだった。そこからもわかるとおり、曲自体は割と古いらしく、ジンギスカンのメンバーの中にはすでにお亡くなりになられた方もいるらしい。(ガセネタだったらゴメンナサイ。)
そんなわけで、マイヤヒー同様ネット発で人気を博した「もすかう」。曲名のところに「ボートでヘイコラホー」とか書いてあったところからしても、明らかにソラミミとして売り出すのが狙いだ。まぁネットでもソラミミフラッシュとして流行ったのだから当たり前なのだが。

ただ、ひとつ気になる点が、CDレーベル面に描かれたコイツ↓



              (・∀・)



2chでは「イィ!!」と名付けられている顔文字。どうかまた某会社さんが商標登録するとか言い出しませんように。(笑

水曜日はいつも12:00までバイトなんだけど、一応お店の仕事だから、お客さんの入り具合によって早く終わったり、残業になったりするのね。今日は12:30まで残業。個人的に、残業は収入が増えるのでどちらといえば嬉しい。でも、残業して家帰って風呂入ると、これ温水プールじゃね?ってほどに風呂のお湯が冷め切ってるのね。でまぁ、この季節だから、温水プールのままでは寒くてとてもとても出られなくて、やむなくお湯を沸かし直すのね。でもいつも思うのよ。お湯を沸かすガス代を考えたら、残業手当てと同じぐらいかかるんじゃないの?って。まぁ自宅に滞在してる身だからおよそガス代は親任せなんだけどさ。(-_-;)なんだか申し訳ない。でも温水プールのまま風呂から出て風邪引いたら、それはそれで医者の診察台やら薬代やらに金がかかる。どっちにしても金がかかるのね。まだ風邪引かないほうが割に合うっていうだけ。何が言いたいかって言うと、生きるのって何するにもお金がかかるのねって。ただそれだけのこと。


基本的に暇な人間ながら、今月は割とタスクが溜まり込んでいる。最優先は、3年生で選択するゼミの選抜レポート。今週の土曜に〆切が迫っている。基本的に不人気な刑法ゼミにもかかわらず、オレの選択したゼミは定員11名に22名が応募してしまった激戦区。倍率2倍とあって、正直不安。レポートは1000字以上で、ゼミの志望理由または刑法で扱いたいテーマについて書けというもの。ぶっちゃけ刑法についての知識はほとんどナッシングなので、選んだテーマは問答無用で志望理由。で、先週からヒマを見て書き続けているものの、イマイチ纏まらないのよ。当ブログを見ている人は気づいてるかもしれないけれど、オレは書きたいことを一気にバーッと書いてしまうタイプの人間なのね。レポートも一応プロットを立てて要点を絞ったはずなのに、気がついたらレトリックに文章を展開していて、文字数は1700字にも達していたよ。今日はその間延びレポを推敲して、いらないところをバシバシカット。文字数が多いのは悪いことではないけれど、無駄な文が多いと要点が隠れてしまうのね。オレは「文字数さえクリアすれば、あとは提出しさえすれば単位が来る」系のレポートしかやってこなかったから、要点を隠さずバシっと書くレポートって慣れてないのよ。優を取らなくても不可でなければ卒業できるって、その程度の発想。ごまかすことにだけは無駄に自信があるのね。(笑) だけど今回のレポートばかりはそうはいかない。○か×かの二者択一。△はないってわけ。

あのゼミにはなんとしても入りたい。あのゼミでしか、自分が本当にやりたいことはできない。そう思ったからこそ、敢えて就職に不利な刑法ゼミであるにもかかわらず選んだわけなんだよね。で、それを伝えることができれば、きっと○がもらえるはず。だけど、それを伝える言葉が自分には見つからない。気持ちをまっすぐ言葉にすればするほど、逆に誇張した表現が嘘っぽく見える。でも無難に書いたところで、△から先には進めない。△を○にするために、足りないエッセンスはなんだろう?それを考えるのは非常に難しい。でも、非常に面白い。あと3日以内に、果たしてそれを見つけることができるかな。なぜかそれを考えると、逆にワクワクしちゃうんだよね。それは、きっと自分の中にベストなものを仕上げることができる可能性があると思い込む、妄想的な自己陶酔から来るものなんだろうけどさ。自分なりにやれるだけやってみようって、微妙に燃えてます。(笑)


なんか駄文書いてたら眠くなってきたので、書きたいことまだいっぱいあるんだけど、この辺で寝ちゃいます。おやすみなさいませ。(・∀・)ノシ☆