■STAP細胞はあります。
小保方晴子博士の会見では、
彼女がきっぱりと
「STAP細胞はあります。」
と言い切ったあの発言が、繰り返し流されています。
疑惑を否定する最もはっきりした特徴的なセンテンスであることに加えて、
ある一点が彼女の特徴を表し、
それがマスコミや視聴者の期待に答えているからだと思います。
正しいアナウンスメントでは、
「あります。」の「あ」にアクセント、つまり最も強く発するポイントを置くわけですが、
彼女の「あります。」では、
「あります。」の「ま」にアクセントがあるのです。
一般に、
助詞や助動詞をあげて喋る喋り方は、
若者特有のだらしない印象をもたらしがちです。
「私が~、それを~、したら~。」といったように、
助詞を伸ばしつつさらにそこをあげたりなんかすると、
年配の上品なご婦人が眉をしかめるような、
遊んでいる女子高生の調子に乗った口調に聞こえます。
つまりは、
若く未熟な印象を与える喋り方なのです。
小保方さんの「あります。」には、
緊張した小さな声で喋り始めちゃったけれど、
途中で凛とした正当な主張を発揮すべきことに気づき、
一生懸命に発言の強さをもたらそうと最大限の努力をした結果、
「ます!」と強くセンテンスの後ろのほうにある、
「ま」を強調してしまって、
その強さに自分もコントロールしきれずに驚き戸惑っている、
という様子が含まれています。
最初から声質は胸式の細く上わずって不安定なもので、
さらに、助詞・助動詞をあげるという表現を使っているために、
若さや未熟さがはからずも強調されています。
しかし、これは決してマイナス面ばかりではありません。
なぜならば、
小保方さんの表現には、
朗々とテクニックに長けた嫌味さがありません。
逆に、
あまりにもコントロールされた表現者には、
同時に作られた胡散臭さが伴います。
未熟だからこそ、一生懸命さが伝わり、
助けてあげたい、この人は嘘をつくような悪い人ではないいう印象をももたらします。
だからこそ、
彼女のこの発言は、
ただただ「ます」を上げたばかりに、
若く未熟だけれど、
一生懸命真面目に取り組んでいて、
不器用だけれど嘘はついていないので助けてあげたくなる、という印象を他者に与える、
結果的には正解スピーチだったのではないかと思います。
じゃあ、といって、
小保方さんが未熟さをカバーするためにアナウンスメントの基礎を学び、
説得力のある表現方法を学んでいたとしたら、
胡散臭さが増すだけです。
そういう意味では、
私は表現力のテクニックは、
計算しても、するほどにバレて逆効果を生むので、
本当に持っている要素が、
必ず聞いている人にごまかせずに伝わってしまうものだと思っています。
小保方さんの言葉の選び方はほとんどが大変適切であったように思います。
上手にテクニックを学びうろたえることなく流暢にスピーチしなかったからこそ、
彼女の秘めた強さや頑固さと共に、
まだまだ未熟でたくさんの方に助けていただかなくてはならないという印象が、
計算なしに出ていたのではないかと思います。
「あります。」のアクセントがあまりに特徴的だったので、
喋り方の印象について思うことをついまとめてしまいました。