■私の恩師。
私がなりたいと思う人物像の一人に、
小学校6年生のときの、
鈴木先生がいます。
小学校6年生の担任の先生が、
私が教科書の朗読するのを聴いて、
教材として存在する岸田今日子さんの朗読テープより、
上手いかそのくらいだな、
とほめてくださったのです。
歌を歌うのも、音読するのも上手だと言われていた私にとって、
今もときどき、
棒読みをするのは計算です。
私が自然に表現すると笑われるので、
感情を殺してできるだけ目立たないように読むことが普通になりました。
自然な表現を封印していた私にとって、
鈴木先生の評価は、
「なんだ。もっとちゃんとやっていいんだ。」
という自信につながりました。
今もそのときに自信を受けた瞬間を、
思い出すことができます。
数年前、
小学校の同窓会で鈴木先生にお会いしました。
居ても立ってもいられずに、
今の私があるのは先生のお陰だと伝えようと思いましたが、
たった1年見た私のことなんて、
恐らく大して覚えてないだろうと思って、
飄々としてユーモラスな先生の前に進みました。
恐らく、
朗読の話については、
鈴木先生は覚えていらっしゃらなかったのではないかと思います。
しかし、
私が6年生で転校してきたときの、
クラスでの挨拶を覚えていてくれました。
私も忘れていた、
生意気な挨拶です。
「鈴木という名前は嫌いです。」
と自己紹介したのだそう。
確かに、
いつもいつもクラスには何人も鈴木がいて、
鈴木さんと呼ばれると4人くらい返事が返るので、
本当にわずらわしかったのです。
鈴木先生は、
その話を覚えていて話をされて、
ドキッとしました。
もとい。
あのときに鈴木先生が褒めてくれたことによる、
自信の回復がなければ、
今の私はいません。
そんな風に、
一言が誰かの人生を豊かにし輝かせる、
そんな人間性をはぐくむことが、
まだまだできませんが、
私の人間的成長の目標です。