今回は「看板に偽りあり」で、実は初めて聞いた曲♫
ザ・ダイナマイツの『トンネル天国』を調べていたら、こんな歌とこんなGSが存在したことを初めて知った。なんだこりゃ(笑)。スコットランドのバグパイプ奏者のようなコスチュームが売りだったのだろうか♫
リリースされた1968年当時の交通事情と社会情勢を反映して制作されたユーモア曲、とのこと。ちなみに作詞の水沢圭吾という方は、かの中山大三郎氏の別名なんだそうです♪
チャーリー・パーカーについて聞き書きでは「バード」、当方自身の話の中では「パーカー」と呼んでいます。ときどきはパーカー自身が語ったりもしますが、ご容赦を♪
今回は「看板に偽りあり」で、実は初めて聞いた曲♫
ザ・ダイナマイツの『トンネル天国』を調べていたら、こんな歌とこんなGSが存在したことを初めて知った。なんだこりゃ(笑)。スコットランドのバグパイプ奏者のようなコスチュームが売りだったのだろうか♫
リリースされた1968年当時の交通事情と社会情勢を反映して制作されたユーモア曲、とのこと。ちなみに作詞の水沢圭吾という方は、かの中山大三郎氏の別名なんだそうです♪
「トンネル抜け~て~♪」若いころ友だちとドライブに行ったりしてトンネルに入るたび、この曲を歌っていた♫
『トンネル天国』のザ・ダイナマイツ♫山口富士夫のギターが評判になっていたが、追っかけて聴くことはなかった。山口富士夫は2013年に不幸な事故で亡くなっている。享年64。合掌♪
東京都大田区蒲田にほど近い都立高校に通っていた。当時は「学校群制度」という時代で、高校がいくつかの群に分けられていて志望校ではなく志望群を受験、合格者はその群の2校もしくは3校へランダムに振り分けられるというシステムだった。ぼくの受けた群には3校あったが、ほとんどが「あそこに行けるといいなー」と思っていた高校に入ることができて、かなりのインチキ臭さを感じたものだった。それはさておき、その高校には蒲田地区から来た生徒が多く、彼らは「蒲田グループ」なんて呼ばれていた。その蒲田グループのひとりが以前にテレビの「家族対抗歌合戦」とかに出演したらしい、という噂が流れたことがあった。なんでもザ・カーナビーツのアイ高野(蒲田出身)の従兄弟で、一緒に出たんだそうな。確かめてみると「幼なじみだったんで頼まれた。親戚でもなんでもない」と。学校群制も、テレビも、そんなインチキがまかり通る、のんびりとした時代だった♪
トラで行ったキャバレーがたまたまビッグショーで、ザ・キングトーンズの歌伴をやったことがある。結成当時のオリジナルメンバー4人だったが、始まってすぐに加生スミオ氏のマイクがオフで、店にサインを送っていたが全く気づいてもらえず「もういいよ…」という感じに投げてしまったのが分かって、悲しかった♪
大瀧詠一プロデュースの『DOO-WOP!TONIGHT』♪
やはり営業バンドの話で、季節は打って変わって真冬、仕事場はスキー場のロッジだった。基本的にどんな仕事でもバンドには食事が用意されている。たいていは幕の内弁当的なものだったが、その時はおにぎり3個にたくあん3切れの小さなパックで「セコイなー!」とか言いつつ控え室でユニフォームに着換えていたら、当日の歌い手さんが到着されて、初めての仕事だったので挨拶にみえた。「よろしくお願いしま~す」と頭を下げた我々に、歌い手さんは「これが食事?」とおにぎりのパックを指差して「冗談じゃないわよ!バンドさんを何だと思ってるの!変えてもらうからちょっと待っててちょうだい!」その後、ロッジのレストランのメニューが届き、何でも好きなものを注文してください、と。おかげで暖かい食事にありついたバンドは、いつになく力のこもった演奏で歌い手さんに「イイ音してるわね~」と喜んでもらえたのだった。その歌い手さんこそ、美川憲一でありました♪
生涯で一度だけレギュラーになった営業バンドでは、松原のぶえちゃんの歌伴以外にもいろいろな仕事をした。真夏の三浦海岸でラジオ番組の収録があって、バンドはTシャツ短パンでポカリスエットを飲みつつ演奏したが、目もくらむような暑さの中、ゲストの鶴岡正義と東京ロマンチカの面々は白いスーツをビシッと決めて『小樽の人よ』を歌い上げた…とはいえ、炎天下の三浦海岸で水着姿のお客さんを前に「粉雪舞い散る 小樽の駅に~♫」は、どう考えても無理があって気の毒だった♪
中学生の時にTBSテレビの「ヤング720」という若者向けの情報バラエティに『Group and I』という、演奏もヴィジュアルも衝撃的なバンドが登場して、ローリング・ストーンズだったかヴァン・モリソンだったかの曲をぶっきらぼうに歌った♫しばらくして彼らはゴールデンカップスという名前になり『いとしのジザベル』で、牙を抜かれたGSとしてデビューした♫歌としてはサビでマモル・マヌーが美声を聞かせるこの曲が好きだった♪
昨日に引き続き…Gさんのランダム日記のGさんから頂いたコメントで、若い頃に北原ミレイの歌伴を何回かやったことを思い出した。以前に書いた某氏のバンドで、ギターは先日急逝した高田慶二(彼とは楽しい思い出がたくさんある)だった♫
バンドは4リズムのワンホーンで、ソプラノサックスとアルトサックスを持ち替えながらアルトとトランペットとテナーサックスの譜面を3枚並べて吹くという荒業(笑)だったが、メンバーが良いからそんなことも楽しくできた。何より、若さがあった♫
作詞家・阿久悠は、ほぼ同年令のなかにし礼を強く意識していてその詞を分析もしていたと聞くが、なかにし礼も『ざんげの値打ちもない』でデビューした北原ミレイの歌を書く時に、阿久悠を強く意識していたのは間違いないだろう。彼女が歌う『石狩挽歌』は、バックで演奏していてもゾクっとする瞬間があった♪
愛読しているGさんのランダム日記のGさんから頂いたコメントで、小林旭の歌う『夢ん中』を思い出した。1978年にTVドラマの主題歌としてリリースされた歌で、作詞は阿久悠♫
細やかな描写を重ねて「お前」の暮らしを実感させた上での、
男もつらいし 女もつらい
男と女は なおつらい
この2行が、なんとも素晴らしい。
坂本冬美によるカヴァーもお聴きください♪
ザ・スパイダースの歌では、この『あの時君は若かった』が一番好きだ。作曲はかまやつひろし、詞は「明星」か「平凡」(どちらも当時の月刊芸能雑誌)での公募作品で、採用されたのは女子高校生の作品だったらしい♫この曲、バッキンガムスの『Kind of a drag』を思い出すけど、 イントロのローポジションとハイポジションでのペダルが、なんともカッコいい♪