「怖い」
この一言でも、思い描いているものはピンからキリまで。
遠く離れて暮らしていても、いままさに自分が地震にあった感覚になる人もいる。脳が危険を察知し、これまで過去に体験した危険の感覚をフル動員して、この危険を回避しなければならないと、全身で警告する。
逆に、遠く離れて暮らしているから、自分とはほとんど関係ない、他人事だとしか思えない人もいます。脳がそう判断しているのだから、恐怖を感じることがないんです。「私だって怖いよ」と言ったところで、脳は全く違う働きをしています。危険を回避しなければならないという判断はないのです。
震災に限らず、電話を恐怖と思う人、汚れを恐怖と思う人、叱責を恐怖と思う人、人それぞれです。恐怖=危険を回避しなければならないという脳の判断です。
恐怖を感じているのに無理に行動しよう、押さえつけようとするのは、必ず蓄積されて暴発する時がきます。身体が察知する危険を、認め、しずまるまでじっくり自分の安全を確保・確認する必要があります。
「こんなことくらいで怖いと思うなんて」
「こんなことくらいで動揺するなんて」
「こんなことくらいでできなくなるなんて」
と思う必要はありません。
生命維持のための、大変重要な、判断です。
これによって一度でも命の危険を回避し、生きながらえたなら、それだけで最高のことなんです。
自分の身を守ってくれる、危険感知能力。
感度が高いことは、素晴らしいことです。
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