さよなら清志郎 | 『都落ちオヤジ』のひとりごと(めざましTVとサッカーを愛するオヤジのボヤキ)

『都落ちオヤジ』のひとりごと(めざましTVとサッカーを愛するオヤジのボヤキ)

全く自分勝手に『これが好き』『これはおかしい』と
ひとりごとを語ります。

『ロックの王様』とはかくあるべき


3年前に自ら『喉頭がん』であることを告白し、闘病生活をおくっていた忌野清志郎こと栗原清志さんが2日58歳の生涯を閉じました。

私が『RCサクセション』の曲を聴いたのは『雨上がりの夜空に』などがヒットした小学6年生から中学生になる頃。兄が手に入れたカセットから流れる曲を(イヤほど)聴かされて覚えた記憶があります。

当時の『フォーク』から『ニューミュージック』への移行期で『ザ・ベストテン』が全盛期を迎えてる頃、彼の存在は異質のもでした。


彼の活躍については私がいちいち述べるまでも無くご存知だと思いますので割愛させていただきますが、彼が『キング・オブ・ロック』という名にふさわしいと思えた事件が『COVERS発売中止事件』でした。


1988年に外国人アーティストの曲に日本語詩をつけた『COVERS』の内容が反戦、反核、反原発の色合いがあまりに濃かったため所属レコード会社の『東芝EMI』がグループ会社の東芝からの圧力を受けて特に批判の度合いが高い4曲を削除することを条件に発売をすることを清志郎側に打診。

それを清志郎が一蹴したため、発売中止の新聞広告は『素晴らしすぎて発売できません』という極めて異例となるコピーの謝罪広告が載ることになりました。

最終的に別会社から発売された『COVERS』はRC初のチャート1位を獲得。私の父(60年安保世代)がテープに写して(兄の時同様、イヤほど)聴かされるハメになったほどでした。

いろんな反骨ロックアーティストがいましたが、これほど明確に権力に盾突いて


反戦・反核・反原発


という立場を貫いて、メッセージとして発信したのは彼以外にはいないと思います。

そういう意味では先ごろ無くなった筑紫哲也氏と並ぶぐらいの『良心』だったと私は感じています。


(まぁ清志郎が『良心』なんていわれて喜ぶとは思えませんが・・・)


彼の早すぎる死を悼むと共にご冥福を祈りたいと思います。