色々な人からもらったものを還元しまーす。
活動の振り返り。「つながりが内面化してくるって?」
だいすけ。
今までの活動を通してそれぞれ見えてくるものは違っていてまたニーズと言うものの難しさを僕は感じていました。
一つの場に多種多様な人がいる。
遊びたい人もいれば、ただ友達ときた人もいれば、就活をどうすればわからない人もいれば、相談したい人もいる。
どれも理由の違ったニーズだと思う。
ではその中でどうしたら、それぞれの活動を展開出るのかと。
ニーズにはわかりやすいものと分かりにくいものがあり、それを潜在的なものと顕在的そして新しく顕在化してくるもの。3つのニーズがあると僕は感じる。
また違う表現をするなら、解決的相談かケア的相談と少し言い換える事ができるかもしれません。
そしてこのような誰もがこれてニーズが生かせれる場は何故、大事になってくるのかを考えてきました。
その中で手段ではなく目的を自分の中で意識しておく必要が大切だと言う事も学びました。
目的と手段が入れ換わった時、そうさせる(勉強や研修とか)為にどうすればいいのかという思考に陥やすいから、俗に言うのせてしまうやり方です。(興味をそそる勉強の仕方を考えようとはニュアンスは違うので悪しからず)
目的とは「一人一人が暮らしやすく」仕組みに「たまり場ー機会の保証」手段に研修、勉強、フィードバック研究会。まじくるかふぇ。だと僕は感じている。
ある程度、自分が大切にしているものを明確化(言語化)できてくる事で楽しさと一緒に何が必要かすべき事が見えてくるのではないかとも思う。
まず一人一人の暮らしを考えるには、それに出合わないと気付きもできません。出会う為には何かを理由に集まれる場所が必要であり、具体化していく対話や手段がないと進みようがありません。そしてニーズが満たされない状態だときたいと思えなくなる。
最近高校生も一緒になってまじくるでやったインタビューゲームで
教育の分野に関わりたいといった話の中で「先生になって学びを与えるんじゃなくて育ちあいたい」と言ってた事が印象的でした。
学び合っている。理解しようとする。そんな感覚が相手に対する敬意や尊重といったものと現れ、それを対等や対話と呼ぶのだと思います。
これは新しい専門性を担保する上で非常に大事になってくると僕は確信しています。
何故ならケア的相談または潜在的ニーズは
初めてその中で、解決的相談、顕在的ニーズといったものになってくる、わかってくる、変わってくる。個別具体的なものへとなる事を自分自身を通じ人を通じて実感したからです。
一つ付け加えると「すぐそばの実現」という小さな手応えがあります。
本人が意思を持ったり膨らませていく要素(つながりが内面化してくく)は、安心出来て住める所があって、自分のペースで関われる社会があり、一緒に何か考えてくれる人がいて、頼りない仲間がいて、機会の保証があって、希望や見通しをもてた時(整理しきれてないかも)
僕はそれに出会えた。ラッキーなタイプです。
従来の専門性は解決的相談にケア的相談にはある程度マッチしたものの潜在的ニーズから顕在的なニーズ。ケア的相談から解決的相談に向かう自立(他者とつながる事、力)の面に関してミスマッチを起こし有効的に働いていない。(まぁそもそも個人の能力をどれだけ伸ばせるかという自己責任的な自立論が今までの社会の考え方の中心ではあったがそれをいち早く気づいていたのがマイノリティーな人たちとかでメインストリーム協会で聞いた自分で何かも出来る事が自立じゃない。自己選択=自己決定ができる事が自立のはじまり)
こうゆう症状でここを解決するという専門性では対応できないという事です。
新しい専門性とは、対象化されない私たち一人一人の関わりあいの中で、生まれてくるニーズ(私)を私たち一人一人が支えあって地域(従来の専門性など)と連動して解決していく。
その関係性が担保される場に新しい専門性がつき、その関係性が担保されてるか調整する、場のアセスメント出来る人が必要なんではないかと思います。
以上独り言でした。
北芝に行った時、みほさんが言っていた「差別をなくすよりそれに負けない仲間を作っていく」って言っていた意味が少しわっかたような気がします。
PS
人はなんらんかの形でならんかの意味で、意思を示しており、その意思(人)を理解していく行程つまり(観察とやり取り) が…