主語はだれ? | まじくるブログ【釧路】

主語はだれ?

タカさんです。


明日、足立区で冬月荘の話をするため、東京にやってきました。


最終で釧路を発つと到着はこんな時間です。


昨日は冬月荘のブログで一年をすでに振り返ってしまいましたが、まじくるも振り返りたいと思います・・・と言いたいところですが、今日は自分の中のもっとも気づいたことをひとつだけ書くことにしました。


冬月荘でもそうですが、まじくるでも本当にたくさんの人たちに会った一年でした。 と言っても5月からですが、すでに84名の人がインターンシップを受講していることを考えると、ずいぶんと一気に出会った感じがします。


他の仕事もしているため、なかなか普段は皆さんとがっちり語ったり、一緒に研修に参加することはできませんでしたが、大きな気づきがありました。


何度かこのブログにも書いたことですが、冬月荘の実践を通して振り返るということがとても大切だと感じてはいましたが、さらにまじくるを通して感じたことは、振り返る時に「誰が主語か?」が大切だと言うことです。


あの人が~だ、この人が~だったも時には必要ですが、何よりも大切なのは「自分がどう感じたか?」です。


僕もそうですが、ひとは意外と他人のことを評価したり、指摘することは容易にできるのですが、自分のことになるとなかなか表現できなくなるものです。 


冬月荘では中高生との学習会が終わるとチューター会議というスタッフの振り返りをするのですが、以前はついつい子どもたちのことを話して終わってしまうことが多くありました。


自分が子どもと一緒に学習会に参加してみてどう感じたか? 楽しかった、気づくことがあった、つらかった、嬉しかった、戸惑った・・・などなど色々あると思います。 これを表現するのは大人、子どもなんて関係ありません。


そこからみんなで議論をするとどんどん成熟した場になっていくと思います。


実際、冬月荘のチューター会議はいい感じの議論の場になっていて、平行するように学習会も、さらに冬月荘自体もなんともいい雰囲気を醸し出しているのです。


まじくるも同じで、最近は「主語が自分」の意見が出てきて、とてもいい雰囲気で楽しそうなミーティングをしている様に感じます。


当初からそれを意識したミーティングにしているのですが、主語が自分になると、気づきや学びの促進度合いが違うんだとスタッフのみんなと振り返っていてとても気づきました。


でもこれはある種、訓練という意識が必要かもしれません。 



みんなで場を創っていくときに、誰かは~ではなく、自分は~の語りが不可欠なのだと学んだ一年でした。




明日の足立区の皆さんとの出会いで自分自身が何を感じるのか楽しみです。



東京・・・以外に寒いなぁ。