★★★「天地人」<29話>天下統一★★★ | マジック中島オフィシャルブログ「マジック中島の気まぐれ・濃~~いブログ」Powered by Ameba

★★★「天地人」<29話>天下統一★★★

 「天地人 <29話>

    ★★★ 天下統一 ★★


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景勝(北村一輝)


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兼続(妻夫木聡)



天正18年(1590年)、秀吉(笹野高史)は北条攻めに出陣。

上杉も出兵!!景勝(北村一輝)前田利家(宇津井健)

真田昌幸(岩松了)と連合を組み、北条の支城、上州・

松井田城を包囲、戦を好まないで、持久戦の末、城主・

大道寺政繁(ささきいさお)を降伏させる。

平伏する大道寺に、景勝兼続(妻夫木聡)は越後の上手

い酒を酒を振る舞う。

敵にも礼節を持って接する上杉の心に、利家は感服・・・


一方、秀吉は政宗(松田龍平)が参陣しないことにいら立

っていたが、秀吉は政宗を参陣させるよう家康(松方弘樹)

に命じるが、ナカナカ参陣しない政宗に、兼続も参陣を促

す書状を送るが、政宗は無視する。



だが、兼続の最後の書状から、「参陣しなければ、北条を

倒した後、奥州征伐に行くぞー!」と、知らされた政宗は

参陣を決意、豊臣軍の軍議中に、突如政宗が姿を現す。


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伊達政宗(松田龍平)


しかし、遅参(ちさん)したため、秀吉は刀を手にし、「遅かっ

たのー、もう少し遅ければ、この首は繋がっておらんかった

ぞー!!」威圧される政宗・・・


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この結果、罰として伊達政宗は、会津領を没収され、政宗

はそのまま帰されてしまう。


帰国の途中、政宗は兼続の陣に立ち寄り、兼続の戦い方を

愚弄し、「武士は戦う事でしか、生きる意味を勝ち得ない」

と、吐き捨てるように言う政宗。


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「いかにも・・・だが、先ず戦うべきは己が心、武士とは、その戦

に勝ちどれだけの者を守れるかに、命尽くすもの・・・守れる

もの無くして戦ったとして、何の意味がありましょうか・・・?」

兼続。


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帰り際・・・

「いずれ、その首戦場で貰い受ける・・・」政宗。

「戦場はもうなくなりましよう・・・」と兼続。



景勝らは小田原城最後の砦、八王子城を陥落させて、小田

原の秀吉の本軍に合流、森に隠して建設していた石垣山城

が突如、北条軍の前に姿を現す。


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難攻不落と言われる、小田原城を見下ろす兼続・景勝・利家・

家康・秀吉たち。


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猛攻を受けた北条軍、驚がくする北条氏政(伊吹吾郎)は、

敗北し、切腹・・・息子氏直は高野山に追放され、天正18年

7月北条家は滅亡する。


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北条氏政(伊吹吾郎)

さらに家康も本拠地三河を切り離されて、無き北条の関東

へ移される・・・この時三成が家康に、秀吉殿下の通達をし

た・・・


家康は「ハハー謹んでお受けいたします・・・しかし、この進言

は三成殿かのー・・・相変わらず、よう知恵が廻るのー・・・だが、

此度は城一つ落とせなかったそうだが、戦ははなはだ苦手と

みる・・・」


「・・・・・・」三成。


この二人が10年後「関ヶ原の合戦」で敵となり、戦う羽目に

なるのである・・・


★★★ここに秀吉は天下統一を果たす★★★



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景勝と兼続は戦のない世が訪れた事を喜び、越後へと凱旋する。


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お船(常盤貴子)に迎えられ、娘みなを抱き上げ、喜び合った。



「関ヶ原の合戦」まで、後10年の時であった・・・・