1月13日17:00放送分
『ラジオ紙芝居 地震小坊主』
『詩 君に会うために』
『詩 届かない』
局へ送信完了
宮城県仙台市泉区を中心にfmいずみ79,7Mhzで放送
そのほかの地域の方(全世界の皆様w)でPCインターネット
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よろしくお願いします
メンバー募集はまずはこちらご覧ください
『仙台魔法の泉放送劇団募集要項』
⇒ https://ameblo.jp/magicizumi/entry-12832089199.html
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団員、沖野です。
明けましておめでとうございます。
今年も仙台魔法の泉放送劇団をよろしくお願い
致します。
昨年同様、fmいずみのfmいずみシアターにて
ラジオドラマ作品、詩、その他の作品を放送して
いきますので、何卒昨年同様のご愛顧をよろしく
お願い致します。
昨年放送したラジオドラマ紙芝居の二作目をオンエア
します。地震小坊主という作品ですがシナリオは
以下の様になっています。
====から下にあります、ご興味がある方は
どうぞ。今作は、本編が始まる前に正月ならではという
雰囲気の前口上のようなものがあります。
それは団員・久世さんが力を込めて演じてくれましたので、
是非きいていだきたいです。
地震小坊主
出演)
地震小坊主:柿崎真也
和尚様:綾瀬武
ナレーション(前口上):久世みどり
詩の二作について。
君に会うために:朗読 野川とし子
こちらの詩は恋慕的なものです。恋慕的と書くのは、
なんと言いますか、
わたしは経験や知見を元に詩を書くケースが
あるのですが。
経験や知見がわずかな場合、それを自分の中で
膨張させて思いを大きく
して書くのです。しかしこの 恋慕 というものについては、
かなり過去のことであり(笑)、膨張させる元のものが
だいぶ乏しいものになっている現状がありますので(笑)。
わずかばかりの想像力や周りの話を総合して書いたのです。
届かない:朗読 山寺ゆっこ
こちらは一度オンエアしたものです。読み手が山寺さんに変わっ
たバージョンです。出会いと別れについて、特に男女の別れ
ついて思うことを詩にしました。仮に緩い括りつけとして、別れ
というものが人生における失敗だとカテゴライズしたとしたら。
私が男性との別れを経験した場合、色々な選択でその
別れを昇華したり、今後に活かしたり出来ると思うのです。
しかし、男性のわたしが女性との別れを経験した場合。
その経験を今後に活かす、というのが同性の場合の別れよりも
昇華しにくいという認識があります。活かしにくいというか。
なんといいますか。そもそも異性との関わりが取りにくい世に
なっていますから、次の異性関係に反映させる、といってもそうは
いかないケースも多いですね。
そうなると、その別れの経験が、何も活きてこない、何にも
反映させることができない。するとだんだんと、だんだんと。
その経験が思いとなり、それが次第に
暗渠の様な深く狭く暗い溝のようなところに粘度を持って張り付き。
思いが粘度を持ったものになり、それがへばりつき、
動かなくなり、やがて不活動的な存在になっていくのですが。
厄介なことに、なにかのトリガーが作用すると、また活動する、
みたいな存在になっていく。
別れ というものは、その種類によっては重い枷になるものだ、
と実感していたので。この詩を書きました。
皆様、是非お聴きください。
↓地震小坊主シナリオです↓
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ラジオ紙芝居
『 地震小坊主 』
場面1
昔むかし、あるところに、弟子の子坊主のことをとても心配して
いる和尚様が居たんだと。
その弟子の子坊主は、日々の修行のお勤めを真面目に
こなす見上げた修行態度で。
それはそれは真面目で真面目で、みんなが驚く程だった
んだと。
・・・その真面目さがちょっと(異常)と思えるほどだった
らしいんだ・・・。
場面2
廊下の雑巾がけをやれば、人の倍の速さで廊下を移動し、
余った時間で掃除が疎かになりがちな隅っこの部分を
丁寧に丁寧に雑巾の角を使って拭き取ったり。
落ち葉掃きをすれば、葉っぱの一枚も落ちていることが
許せないのか、落ち葉が一枚もない状態にならないと
その場を離れられないので、
秋にはその場から離れられなかったりだとか。
境内の掃除をすれば、いつまでもいつまでも仏像を
キュッキュキュッキュと掃除して像に一つの埃もない
ホントに一つの極小埃もない状態まで仏像をみがき
続けたりだとか。
厠掃除をすれば、ここでは書けないくらいなところまで
自分の身体がクサクサになるまで徹底的に掃除したん
だと。あ、厠って今でいう、トイレね。
場面3
ある日、和尚様がその小坊主を呼び、問い正しました。
和尚『お前の修行の態度は見ていて、すごく真面目で
熱心だ。
それは認める。
だがな、いかんせん、・・少々、なんというか熱心過ぎる。
落ち葉が無くなるまでその場を
離れられない、というのは、他の修行にもさしつかえる
のでな。もう少し柔軟性を持ってもらいたいものだが、
どうだ。』
そう、水を向けると小坊主は言いました。
小坊主『実は。わたしは以前、修行の手を抜いたり、
さぼったりした時があったんです。
するとその翌日、かならずどこかで大地震が起きた
んです。一度は善光寺大地震、もう一度は
何処か西国で、かなりの大地震が起きて大勢が
亡くなったと記憶しています。』
場面4
和尚様は小坊主のその言葉を聞いて、こう
言いました。
和尚『ほう、そうだったのか。・・・では、お前。もう
一度修行を、掃除をさぼってみよ。』
そう言われた小坊主は驚きました。
小坊主『そそそそそそ、そんな!!そんなことをしたら
また、どこかで大地震が起きて、
無辜の人が亡くなってしまいます!!そ、そんなことは、
い、いくら和尚様の命令でも、出来ません!!』
それでも和尚さんはこう、言いました。
『よいからさぼれ。怠惰にだらだらと、やる気がない
という態度で掃除をするのじゃ。
明日、そうせい。よいな?これはわしからの命令じゃ。
わかったか?!』
そう和尚様に強く言われ、小坊主はしぶしぶ、
頷きました。
場面5
その翌日、心配でなかなか寝付けなかった小坊主は、
眠い目をこすりながら、
いつもの時間に修行を始めました。しかし、今日は、
徹底的に怠惰に、緩慢に、やる気がない、という様子で
掃除をしました。
廊下掃除はのたくたのたくたと動いて、雑巾も固く
絞らず適当に絞って水の筋を残してもそのままにしました。
掃き掃除は、掃いたごみをちり取りに入れずまたほうきで
その辺に散らかしてみたり、
厠の掃除は掃除自体をしませんでした。
小坊主は、そうするからには(徹底的にやる)タイプ
だったのです。
しかし実は。心の中は不安で一杯でした。こんなことをして、
また大地震が起きるんじゃないかとずっと心配でした。
それを本当に畏れていたんです。
場面6
翌日、小坊主のお寺に大地震が起きた、という報せが
舞い込みました。
隣りの隣りの藩の、同じ宗派のお寺から、手助けを
求められたのです。
小さい地震ながら、小坊主のお寺でも揺れが感じられた
ことから、嫌な予感がしていた小坊主は(ああ、やっぱりか)
と思いました。
和尚様は、何人かの弟子の小坊主を要請があったお寺に
向かわせることにしました。
場面7
それからひと月ほど経ったある日。小坊主は和尚様に
呼ばれました。
小坊主は、待ってましたとばかりに だから言ったじゃあ
ないですか、と言ってやろうと心に決めて、和尚様の元
へと向かいました。
小坊主が部屋につくなり、和尚様は
和尚『もう一度、掃除をさぼれ。もう一度、怠惰にだらだらと、
やる気がないという態度で掃除をするのじゃ。明日、そうせい。
よいな?これはわしからの命令じゃ。わかったか?!』
と和尚様は以前と同じことを言いました。
小坊主は驚いて言いました。
小坊主『そんなことをしたらこの国はもう滅びます!
そんなことは、いくら和尚様の命令でも、絶対に出来ま
せん!!』
それでも和尚様はこう、言いました。
和尚『命令じゃ。よいからやれ。』
そう和尚様に短く強く言われ、小坊主はしぶしぶながら、
頷きました。
小坊主は、和尚様は一体何を考えているのだろう、
と不安になりました。
場面8
その翌日、心配で一睡も出来なかった小坊主は、
眠い目をこすりながら、いつもの時間に修行を始めました。
不本意ながら、徹底的に怠惰に、緩慢に、
やる気がない、という様子で仕方なく、掃除をしました。
小坊主の気持ちは畏れに支配され、いよいよ明日、
この国にまた大地震がくる、
そんなことになったらどうなるのだろう、自分の責任は・・・・、
自分のせいで多くの人が亡くなってしまう、と思うと、
小坊主は体が縮こまり、
これなら蟻にでもなってしまった方が楽だ、とさえ、思いました。
場面9
翌日、大地震は起きませんでした。小坊主の心配を余所に、
その翌日も、その翌日も、大地震は起きませんでした。
大地震どころか、小さい地震も起きません。
10日が過ぎたころ、寺に報せが届いたので、その中身を
和尚様に訊ねると使いを出した先のお寺がだいぶ復旧してきた、
という御礼の手紙だった、と和尚様は教えてくれました。
それからしばらくして、また小坊主は、和尚様に呼ばれました。
場面10 (※智慧とは情報を得る、知識を得るなどの意味。)
和尚『地震は来なかったのお。』
そう、和尚様は小坊主に言いました。
小坊主『・・・・はい。来ませんでした。』
そう、小坊主は返事をしました。
すると和尚様は、こう、言いました。
和尚『わしは自分に自信など、まったくない。でも自分には
智慧がある。
お釈迦様は※智慧(ちえ)が大事、と説いたからじゃ。』
そういって和尚様は狐につままれたような
顔をする小坊主の顔をみて、話を続けました。
和尚『お前は生真面目な事もあって自分の修行の態度と、
地震の発生を勝手に結び付けた。
それはわからなくもない。でもそれは、智慧がない者の
することじゃ。
想像してみてごらん、例えばお前が何処かへ旅に出ようと
しているとする。
何の情報も得られないで旅立つとなると、お前はとても
不安だろう?なあ?
目的地が定まってはいても、そこに辿り着くまでに、
どの街道を通って、どの宿場で寝泊りするのか、
事前に調べられないのでは、不安ではないか。
大丈夫かな大丈夫かな、とずっと心配になるであろう。
その不安を取り除くには、どうしたらいいのか。
それは智慧じゃ。お釈迦様がいう、智慧とは色んな意味があるが、
こういう日常的なことにこそ、あてはまるのじゃ。
お前の足ではこのくらい歩けるから、一日目はこの宿に
泊まれるだろう、そしてこの街道を通って
いくとこんな景色がみれる、などと経験者から教えてもらって
から旅立つ、となるとどうじゃ。お前の不安はかなり取り除かれる
ことになって、安心して旅立てるだろう?違うか?』
そう言われた小坊主は、
小坊主『その通りにございます。』
と言ったそうな。
場面11
和尚『いいか?(自信)なんてものは誰にもないのじゃ。
自信をつけるのではない、不安を取り除く為に(智慧)をつけるのじゃ。
お前には充分な智慧がないから、お勤めの内容と大地震が
起きる事を、自分で勝手に結び付けた。
それは愚かなことじゃ。
色々調べたり、誰かに聞いたりしながら、智慧をつけること。
それが肝要なんじゃ。』
そう、和尚様から説教された小坊主は、深く頷きました。
和尚『わしは自分に自信など、微塵もない。ただ、智慧があるだけじゃ。
お前が心配していた(地震)。それと同じ響きの(自信)。
自信をつける自信をなくすの自信じゃ。その二つの言葉がわしの
中で結びついたのでな。お前に話しておこうと
思ったのじゃ。わかったか?』
そう、言葉をかけられた小坊主は深く深く頭を下げ、
御礼の言葉を伝えたんだと。
場面12
その翌日からの小坊主の修行態度には、一見すると変化が無かったが、
その実、大きな違いがあったんだと。
真面目に掃除をする態度に違いは無いのだが、例えば人が
訪ねてきた場合その応対にあたったり。
掃き掃除をしている時に小さい虫が逃げる様子を見たり。
銀杏(いちょう)や橡(とち)が一晩の間に葉を落とした庭をみて、黄金を
敷いたように明るいなあ、と感じたり。
以前は何とも思わなかったり、何も感じなかったりしたことを。
小坊主は感じ入ることが出来る様に、なったんだと。
そして小坊主は、そのことにとてもとても、感謝したんだと。
-お終い-