すごく前向きな気持ちで、明日は大学に行きたくない、ずる休みしたい、と思った。


というのも、図書館に行きたくなったからだ。明日は1日中本を読みたい気分だ。本を選びたい気分だ。


こんな風に、前向きな気持ちでずる休みをしたいと思うのは、しあわせなことだと思う。


わたしがこれまでずる休みをしたいと思うとき、大抵は明日のその用事が嫌なときだった。跳び箱があったり、苦手な人とシフトが被っていたり、朝、早起きしなければならなかったり。


その点、明日の用事は特別に嫌なわけではない。お昼は言語の講義と夕方からはバイトなのだが、その言語の勉強には力を入れているから毎回講義に行くのは楽しみだし、バイトも接客が楽しいので割と前向きな気持ちで毎回出勤する。


でも、それを上回る大きさで、図書館に行きたい気持ちが来たのだ。


これ程大きな欲望が自分の中から沸いてくるのは、元気である証拠だな、と感じる。


これまでのわたしは、何故かわからないのだが恐らく半分ぐらい死んでいたような気がする。快も不快も、感覚が鈍かった。いや、不快に対する感度は高いのだが、自分の“快”がよくわからなかった。


でも、今日は自分の声がよく聞こえた。今日はいい日だ。