人が頑張るのには、色々な動機や環境があると思う。



順調に来た人が、順調を維持し、または高めるための頑張り。

なかなか上手くいかない人が、そこを脱し、または改善するための頑張り。

とにかく、ある一点、何かが欲しいために発揮する頑張り。

逆に、何かから逃れるためや、忘れ去るために発揮される頑張り。

トラウマや不運を嘆き、心の中でその傷をいやす、外からは見えない頑張り。

犯罪者が逃げる、失敗を隠す、周囲に当たるなども頑張りかもしれない。



私は最近、ずっとなんのために頑張ってきたか、自然に身に染みている。


私は、不出来な自分から、自分の誤れる選択から。

自分の至らなさがもたらした、様々な結果などから。

ひたすら逃れたかったのだ。
それらが、消えて見えなくなるほどの成果を上げて、逃げ切りたかったのだ。



しかし、最近自覚した。

例え結果がついてきて、何かから逃げきれたとしても。
それは、文字通りの逃げであり、エスケープの人生にすぎない。

逃げて背を向けた分だけ、逃げたことの報いが表れてくる。

それが、今日の私の心理的、周辺の実態的な環境を形成しているのだ。



生き方は変えられない。
やることも、そうそう変えられない。

せめて頑張る理由は、何かから逃れるためでなく、何かのためでありたい。

そうすべきもののために、頑張ろう。