1976年のピンボールを読んだ

主人公と鼠の悩みはわたしのそれと少し似ているかもしれない

みんな消えてなくなる
それ故に生きることに意味はない


それに対して
主人公はその考えに同意するものの
消えてなくならないものが
少しばかりはあると考えている


鼠はその考えを煮詰めて
爆発させてしまった。
そして、よほどこの世が合わなかったのか
生きることを放棄してしまった
そして少しづつ死んでいく存在となり
街を離れた

これから悪が
鼠を利用しようと迫ってくるとも知らずに

孤独というのはそういう
雑音がないということは
気分が切り替わらず
煮詰めていくこと


孤独の自分は自分という偏見をもった人と自分との付き合い

人と関わるというのは
色々な面が放出されて
言うなれば色々な自分が表面化する

そういうのが本来は健全なのではないか?

少なくともいつもと違う思考回路が使われる
同じとこばっかり使っていると
擦り切れて焼けてしまうのだと思う。

「良い」自分が放出される環境に
身を置くことで力を取り戻せるかもしれない。