しかも、今回のツアーは約1ヶ月間あり、新宿・町田・横浜の何処かには必ず行けるよう仕事のスケジュールを組み直さなければ。
どなたか行かれる方いらっしゃらないですかね
(前回より続く)
なんだかんだでランドマークタワーに辿り着く。
ドッグヤードガーデンの謎はすぐ解けた。
ランドマークタワーのふもとにある船着き場跡でした。
まだまだランドマークタワーの周辺は
今と違って広大な更地が広がっていた。
ドッグヤードガーデンでステージを目の当たりにした瞬間、
思わずガッツポーズ。完全にタダ見ができるロケーション
開演まで、まだまだだったが、その時流れていた
ボーカルの入ったBGMが凄くイカシテた。
メロディが独特だったのでしばらくの間、
から離れなかったが、
その曲がハービー・ハンコックの「カメレオン」だと分かったのは
しばらくたった後だった。誰が唄ってたんだろう?
ドッグヤードガーデンの真ん中にフェンスが
仕切られ、なにやら招待券みたいなものを
持っている人達だけが、
ステージ前のエリアに入れるようだ。
そんなこんなでようやく開演直前。
黒人ミュージシャン達が姿を現した。
バーナード・パーディー
デビッド・T・ウォーカー
チャック・レイニー
ソニー・フィリップス
パンチョ・モラレス
錚々たるメンバーがステージに上がったが、
彼らが錚々たると気づいたのは
やっぱり数年後だった。
そして御大ルー・ドナルドソン。
曲はアーチー・ベルの「タイトゥン・アップ」でスタートした。
ジャンボ鶴田が母校に帰ってきた。体育講師として。
確か自分が大学3年の1996年だったと思う。
自分がもう1学年下だったら
ジャンボ鶴田講師による体育の「バレーボール」を
選択できたのにと悔しい思いをした記憶がある。
ちなみに教室で行う「体育講義」に出席した友人によると
「例のジャンボ・ヴォイスでちょっと聴き取りにくかったなあ。」とのこと。
その年の秋だったと思うが、
ジャンボ鶴田の講演会が構内であった。
講演の最後は質問コーナー。
「馬場さんのチョップは効くんですか?」なんて
お約束的な質問が出たとき、
「ショッパイ質問しやがって」と
自分は心の中で舌打ちした。
自分の番が廻ってきた。
多分、いくつかの質問を用意していたと思うが、
結局、質問したことは
「この前の三沢vs川田戦(多分)の試合の攻防を観ていたら、
プロレスとしての技術の攻防はもう行き着くとこまできてしまったような
レベルに達してると感じたんでしょうが、いかがでしょうか?」
その質問を発したとき、場内がサーッと引いていくのが分かった。
「もう一回、ヘッドロックやボディスラムでも
一つ一つの技をきちんと出す。
プロレスも原点に戻らなければいけないかもしれない。」
はっきりとした回答はもう忘れたが、
確かそんな内容がプロフェッサー・ジャンボの回答だった。
その時は自分も抽象的な質問したから、
あいまいな回答されちゃったかなぁ、というのが
感想だったけど、
ジャンボの死後にやってきた
定義付けの難しい21世紀のプロレスや
ジャンボの付け人だった三沢光晴が不慮の事故で
亡くなった現実に直面した今となっては、
あのとき鶴田先生が言わんとしていたことが
ようやく分かってきたような気がする。