青天の霹靂。その日は突然にやって来ました。

思い出しながら書いてみます。

 

2016年10月14日朝、いつものように子供三人をそれぞれの園に連れて行きました。

長女と長男は幼稚園に、次男は同じ敷地内にある保育園へ。

その後会社へ。1時間ほどたったころ嫁から電話。嫁は同じ会社に居るので電話がかかってっくることは非常に珍しい。

 

「次男の調子がおかしいらしい。一瞬チアノーゼを起こしたと常駐看護士さんから連絡があった。」

 

これは何か体調不良だと思いその日は私が迎えに行くことにしました。

出社後ではありましたが一日有休をもらい、急いで保育園へ。

到着すると次男は職員室で布団に横になっている状態。

私を見つけるなり「ととー!」と駆け寄ってきました。そこまで緊急事態ではないのかな?

と思いながらチアノーゼになったこと、心拍数が60程度とこの年齢にしては少ないことが気になると看護士さんから説明を受ける。その足でかかりつけの小児科へ。

 

次男は2016年2月から嫁の仕事復帰に伴い保育園に行っており、ずーっと中耳炎を治っては再発という形で患っていました。今週は抗生剤を変更したという変化点がありました。

 

小児科の先生もよく原因は分からないけど、血中酸素濃度は問題なく抗生剤が合わなかった可能性もありますね。とのこと。

この時点で先生もチアノーゼが起きるなんて不思議といった様子。

 

その日は薬を変更してもらい昼ごろ帰宅。

 

帰宅するや否や「お腹すいた!オニニ(おにぎりのこと)食べよぉー!」といって右腕を高く上げている。まぁこの様子なら抗生剤の変更で元に戻るな。と安心しきっていた。

 

でも状況は好転せず。土日ともになんとなく熱が上がったり下がったり。

救急にかかるほどでもなく、でもなんとなく元気が無い。

 

週が明けて、17日月曜日。その日がやって来た。

朝預けたものの即刻保育園から電話。体調がどう見てもおかしいので安全に保育するこが困難なのですぐに迎えに来てほしいとのこと。

ここは嫁に任せて私は仕事を続ける。

 

嫁さんは保育園常駐の看護士さんの一言「私だったら救急に連れて行く」を聞きいつもの小児科ではなく比較的大きな病院の救急へ走った。

 

逐一状況は連絡してもらっていた。

 

第一報はメッセージ。エコーでお腹にウンチが溜まっているとのこと。

「なーんだ便秘か。」

 

第二報は電話。

しかも会議中に何度も鳴る。電話に出た1秒で嫁の感情が読み取れた。

ただ事ではない。ことばを詰まらせながら。

「お腹に腫瘍があるって。即刻もっと大きな病院へ入院するよう紹介状が出た。」

 

実は不明熱の話から、週末嫁さんは小児がんで無くなった子供の話「6歳の花嫁」を思い出していました。もし小児がんだったらどうしようと。

 

だから嫁は「腫瘍=がん」と思っていました。

 

当然二人とも気が動転しています。

でもここで動転したままでは車の運転すら危ないと私は思いました。

「まだ良性とも悪性とも何も決まっていない。適切な検査をすることを最優先にしよう。」

と嫁に何度も言い聞かせました。自分にも。

 

私もその電話を受けたその足で長女と長男を迎えに行き帰宅することに。

子供たちは父親がサプライズで迎えに来てくれたので目を輝かせて喜んでいます。

娘が園庭で「なんでととが迎えに来たの?」

と聞かれ一呼吸もふた呼吸もして自分を落ち着かせ園庭を出た後に「次男は調子が悪いの」とだけ答えてその場でしゃがんで泣き崩れてしまいました。

 

もうなんと言っていいのか、なぜ、なぜ宗介なのか、なぜこれまで気づけなかったのか、なぜ今なんだ、なぜ、なぜ。それしか考えられません。

 

その日は大きな病院のベッドが準備できなかったため入院を次の日、もしくは今居る病院に一日だけ入院するもしくは帰宅するという3つの選択を迫られました。直感的に長い闘いになると思ったので家族全員揃って夕飯をとりたいと思いました。

 

次男本人は珍しく父親が早く帰ったためか元気に夕食を済ませました。その日は夫婦で話し、泣き、また話して、また泣いて、そして励ましあってから次の日から始まる入院の準備をお互いに進め寝ました。

 

後に詳細は話したいと思いますがこの頃の食事のとり方は今考えれば病気ゆえのことだったのだなぁと思います。食べる量が極端に少なく、食べる姿勢が背中を必ず反らせるように、排泄量と状態にも変化がありました。

 

極端に気にする必要は無いかもしれませんが、何か変化を感じたら誰かに相談してみることは想像以上に大切なのかもしれません。

私はいまだに早期発見できなかった自分に嫌悪感を抱いています。

そんなことを言っても何もならない。前進しない。過去は変えられない。

分かっています。分かっているつもりです。

 

そんな簡単には切り替えられない。

治療している本人の前ではそんな気持ちにならないようにしています。

今は父である自分がもっとも前向き出なければ治るものも治らない。

でもやっぱり。