『悦ばしき知識』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:10 UTC 版)
「フリードリヒ・ニーチェ」の記事における「『悦ばしき知識』」の解説
『悦ばしき知識』(1882年)は、ニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、引き続きアフォリズム形式をとりながら、他の諸作よりも多くの思索を含んでいる。中心となるテーマは、「悦ばしい生の肯定」と「生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭」である(タイトルはトルバドゥールの作詩法を表すプロヴァンス語からつけられたもの)。 たとえば、ニーチェは、有名な永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観と真っ向から対立するものである。 永劫回帰説もさることながら、『悦ばしき知識』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの自然主義的・美学的離別を決定づける「神は死んだ」という主張である。
ペガサス的、補足 ・・・ 💕
ニーチェ死後、ニーチェの遺稿をニーチェの妹、エリザベトが、再発刊したのだが。そのニーチェの遺稿がナチスの眼に留まった。
ニーチェ思想がナチスの思想の土台になったかどうかは怪しいのだが・・・ナチスは主に、運命説(基督教)と偶然説(科学思想)と運命と偶然との混合思想(ニーチェ思想)の何れの形態も採らなかったが、ヒトラーの気分で思想が固定的ではなかったとされる。哲学的には、ですけれど・・・
戦後、ハイデガー(ナチス絶賛者で、ギリシャに渡った。ハイデガーの哲学体系に詳細だとされる、邦人は、九鬼周造氏だと言われている。)の愛人で緑の装束で固め、綽名もミドリとされた、ハンナ・アーレントは公共哲学という形で特に戦後、活躍された。
戦後の哲人としては、斜視が悩みの種だとされた、実存主義者 ジャン=ポール・サルトル
氏が有名であろう。
まぁ、現代というより、二十世紀の哲人なので、近代に近いのかもしれないけれど・・・