詩人マフムード・ダルウィーシュ氏は1941年、英国の統治下にあったパレスチナ北部の村ビルワに生まれた。彼が6歳のとき、そこにイスラエルという国が突然、できることになった。パレスチナ住民はユダヤの軍によって追い出された▼「あの夜のことは忘れない」。詩人はそう振り返る。オリーブの林を、村人は走って逃げた。砲撃と銃声が迫ってくる。満月の夜だった。大勢の人が死んだ。村は破壊され、その名も消えた▼詩作を始めたのは10歳の頃だ。イスラエルの学校で、ユダヤの子への詩を書き、当局に呼び出された。〈きみには家があるけど、ぼくにはそれもない。きみにはお祝いがあるけど、ぼくにはない。なぜいっしょに遊んじゃいけないのだろう〉(四方田犬彦〈よもたいぬひこ〉訳『壁に描く』)▼やがて彼の詩は、傷ついたパレスチナの心を慰め、同時に、勇気を奮い立たせるものになっていく。だからだろう。詩の発表を理由にして、イスラエルは何度も彼を逮捕した▼幾多の憎悪が積み重なった地で、いま再び、人々が悲憤の涙に震えている。多くのイスラエル人が殺された。多くのパレスチナ人が殺された。幼き子も、お年寄りも。ガザの惨状を思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになる▼ダルウィーシュ氏は200年、67歳で逝った。〈歴史は犠牲者も英雄も嘲笑(あざわら)う/彼らに一瞥(いちべつ)をくれて 過ぎてゆく/この海はわたしのもの。この新鮮な大気も〉。残された詩の一節が、私たちの胸に静かに迫る。平和が欲しい。殺戮(さつりく)でなく。