鼻先をかすめたのは、香りではなく、あまり喜ばしくない独特のにおいだった。下町の公園を散策していた9月末、鼻にも早とちりがあるのかしらと足を止める。やはり銀杏(ぎんなん)の実が、アスファルトの上でぐしゃりとなっていた
▼キンモクセイの香気よりも先に、銀杏のにおいに出くわした秋は記憶にない。「私もそう思っていたんです。こんなに早く何があったんでしょうね」。知人も同じ感想を持ったという。暑さのまだ残る時期だったから、においがよけい鼻についた
▼マスク要らずの秋を、久しぶりに迎えたこともあるのだろう。匂いや臭いに季節感を催すのも悪くない。10月は1週間あまりが過ぎ、朝晩には爽やかな風が秋涼を運んでくるようになった。「地球沸騰」を思わす厳しい夏が去り、天地があるべき姿を取り戻したようにも見える
▼早起きした日などは、草陰に虫たちの唱和を聞きながら空を仰ぐと心地よい。きのうの朝空には、一面に敷き詰められた雲を透かし、深い青がのぞいていた。いわし雲、さば雲、うろこ雲。短時間で姿形を変える雲のカーペットは、目の薬になる
▼このところの紙面は、爽やかな季節を裏切るような気鬱なニュースが多い。学校での、いじめ・不登校の認知件数は最多となった。法治主義に背を向ける沖縄県知事は、自らの政治姿勢を恥じるふうもない。ウクライナでは、ロシアの攻撃により多くの市民がまた犠牲になった
▼1面コラムは新聞の体温計ゆえ、ややもすれば暗い世情の色に染まる。秋高気爽の話題がせめて五感の清涼剤になればと、そう願う。八木重吉の詩の一節を。<こころくらき日/こころおもたき日は/まっすぐに空をあおげ/そこには空のこころが生きている>