【産経抄】死の淵から戻った意味 2023/9/27 05:00 | 徒然なる儘に・・・
    青葉真司被告
    青葉真司被告

    胃病を患った夏目漱石は、療養先の伊豆・修善寺で800グラムもの血を吐いた。明治43年8月、いわゆる「修善寺の大患」である。手厚い看護を受け多くの人に見舞われ、一時の人事不省から回復した。こんな所感を残している。

    ▼「住みにくいとのみ観じた世界に忽(たちま)ち暖かな風が吹いた」と(『思い出す事など』)。北から南から、あるいは自分の結婚を延期してまで見舞う人もいた。死線をさまよい人生観は一変したようである。「余は病に謝した」と、漱石は続けている。

    京都アニメーションの放火殺人事件を巡る裁判が始まってからというもの、折に触れこの話を思い出す。京アニの社屋に火を放ち、自身も火を浴びた青葉真司被告は、生存率が5%に満たぬ大やけどから生還した。医療関係者による懸命の治療がなければ、この公判もなかった。

    ▼7回に及んだ被告人質問では、「やりすぎた」や「すみません」など、反省をうかがわせる言葉を何度か口にしてはいる。真摯(しんし)な謝罪はしかし、いまだに聞かれない。京アニへの怒りと憎悪に言葉がとがり、贖罪(しょくざい)の意識には、なお遠いと思わせる。

    ▼被害者の親族は法廷で問うた。犠牲になった人々は、被告にとって「モブ(名前のないキャラクター)」か。「そういう感じと言わざるを得ない」と青葉被告は答えたという。犠牲者にはあたたかな風の吹く世界があった。それらを奪った罪の深さに、気がつくのはいつだろう。

    ▼審理は来年1月の判決まで続く。裁判員裁判としては異例の長さとされるが、事件の背景を解き明かし犠牲者の無念を晴らすには、十分な時間とは言えまい。何よりも心からの悔悟の念を抱かせること。青葉被告を死の淵から引き戻した意味は、その一点にある。

     

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