名人戦で勝てるのは、名人になるべき者だけである。名人とは「将棋界全体が選んだ、将棋の神様への捧げ物」(河口俊彦八段)であるのだから――。そんな不可思議な名言がいくつも存在するぐらい、将棋界における名人のタイトルは特別な意味を持つものらしい

 

藤井聡太・新名人の誕生である。史上最年少であり、七冠という偉業の達成でもある。私たちはいま、歴史に刻まれるべき、藤井時代を見ているのだと痛感する

 

▼きのうの対局後の感想戦が、何とも印象深かった。互いに自らの一手一手を考え直しながら「桂は考えてなかった」「歩を打つとか」「あっそうか」。熱戦の直後とは思えぬ、穏やかなやりとりが30分以上も続いた。極限まで考え抜き、無言の対話を続けた2人だからこそ、わかり合える世界があるのだろう

 

▼「感想戦は敗者のためにある」。新名人の好きな言葉だという。勝者は喜びを露(あら)わにせず、未見の最善手を追求する。敗者は悔しさをぐっとこらえ、失敗からの学びを次につなげようとする。それは将棋というゲームの深みである

 

▼昔は3時間に及ぶ感想戦もよくあったというから驚く。昭和の名人、升田幸三は鬼手を胸中に秘めて局後の検討を楽しんだ。十五世名人の大山康晴は、感想戦では「どんなことでもいえる」と言い放っていたとか

 

▼新名人はタイトルの奪取に緩むことなく、さらなる高みを目指す。いったいどこまで強くなるのか。「捧げ物」を受け取る神様も、さぞ楽しみに違いない。