対面の成城キリスト教教会でカトリック新聞やカトリックの刊行物を読んでいました。
その中に目を引いたのが、2023/04/09 (日) 付
ある暴力団員が麻薬の取引などをしていたが、麻薬の密売などに奔走する自分、又、麻薬に溺れていく自分に愛想が尽きて、一キリスト者として目覚めていく記事が特に私の眼を引きました。
その元暴力団員は若い時は喧嘩に明け暮れ、身持ちを崩していく訳ですけれど・・・。
それはある意味では
1993年次、小松製作所小山工場油機製造部工作課主任で、私の直属上司であった、山田荘一氏(現:コマツ川崎OB会会長) が
部下である、私に向かって、
指定暴力団組長である、俺に盾を突く気か!
と脅しを諸に掛けてきた、当時43歳であった、山田氏の若き日の姿がそこにあり、同部署に部課長は看過したことに、コマツ社内の病理を垣間見たのですけれど、ね
その前後に私は心の調子を崩し、又、山田氏から小山工場独身寮門前でリンチを三人がかりで受けた経緯もあって、又、当時、新人でしたから、ストレス度は限度を超えていたのでしょう。
私は過度のストレスから、心を病み、寮内で自殺未遂を起こした。
そして、心の病は治らず、時は経て、三十年の歳月が流れた・・・。
37歳の時、登戸駅に付近にある、多摩病院で、一清掃員として、勤務していたが。契約上は、午前九時からお昼の十二時までの契約社員であったが。
仕事の量が非常に多すぎたため、私は午前四時に起床。午後の二時までサービス残業をしていたが、心の不調はピークに達し、
イエス・キリスト
と大音量になったのだけれど。その時は未だ、天界を目撃していなかった。
その後、2014/12 に父が死去してから、益々、イエス・キリストという不可思議な幻聴は益々、ピークになりましてね。
東久邇宮稔彦王
が
敗戦直後( 1945/08/17 - 1945/10/09 ) まで内閣総理大臣をお務めになられるのだけれど。憲政史上、唯一の皇族内閣なのだけれどね。
東久邇宮さまを想っていた時、その日は雨天だった・・・。
又、自分の事を戦災孤児と思いを同じくしてしまって・・・・。
あの時ほどではないけれど。その時は精神危機ばかりの日々でしたので、ね。
まぁ、結論から言うとですね。宗教学上は私は実に不可思議な日に生誕しておりましてね。
昭和四十二年五月三日生誕 静岡県静岡市の市内の病院で生まれたらしいのですけれど、ね
昭和十一年四月二十日生誕 亡母
明治四十二年十一月三日生誕 祖母
でしたので、ネ・・・。
今、稲光が地元の空に落ちましたけれどね・・・。
お気づきの通り、
私の日本国憲法施行日、母がアドルフ・ヒトラー総統、祖母が日本国憲法公布日・・・。
私の一族は敗戦の呪縛と戦後復興のその後の日本。そして、バブル経済崩壊後の景気の悪さに飲み込まれたのが、私の運命ですね。
コマツだけじゃなかったんだよ。
慶大首席がNECの寮から夜逃げし、その手伝いを私がしたくらいだからね。
じゃ